夢追い人の末路。

こんにちは。

今日はタイトルの通り、夢追い人をずるずる続けて20代を溶かしてしまった知り合いの話をしようと思います。

ちなみにその人とはもう2年ほど前から疎遠になっています(というより縁は切れています)が、それまでは結構長い付き合いで、幼馴染といっていいほどの人でした。

私にとって大切だった友達も、時とともに変わり、30歳を目前にして道は分かれました。

彼女のことを最近ふと思い出して、彼女への気持ちを書いてみたいと思いたちました。

絵が得意な女の子


彼女は学生時代から絵を描くことがとても好きで、美術部から地元の短大に進学し、卒業後はいったん事務の仕事に就くもクリエイティブな仕事への未練を断てず、小さな家族経営の写真館にカメラマンとして就職しました。

まだ若かった20代前半までは、要所要所で人生のアップダウンを分かち合い、彼女が画家になりたいという夢を持ちつつ頑張っていることも心から応援していました。

彼女は非常勤の教師の男性と若くして結婚し、カメラが好きな芸術家気質の夫とともにクリエイティブなことを楽しむ毎日を送っていましたが、仕事でも結婚でもいろいろと苦労が多いらしく、私はいつもその話を聞いていました。

変わる価値観、経歴、人生観


私は大学から東京に進学し、卒業後もそのまま東京で正社員として働いていましたので、彼女と会うことは少なかったのですが、帰省した際には会っていましたしラインでのやりとりも定期的にしていました。

24歳くらいの頃、彼女は写真館を辞め、その後どうするかに悩んでいました。

家族経営の写真館は相当ブラックだったらしく、悲惨なエピソードやかなり重たい愚痴を何度も聞かされていました。

大切な友達が悩み苦しんでいるのは私にとっても辛いことで、親身になって長いメールに返信したり、励ましたりしていましたが、
実は私も新卒で入った会社はかなり大変な環境で、しかも一人暮らしですので頼れるのは自分だけ、働けなくなったら住む家も無くなる中で踏ん張っていた時期でした。

そんな中彼女のことに力を注いだのは、ひとえに彼女を大切に思っていたから。

どうしても芸術の道を諦め切れないという彼女の情熱も肯定的に感じていました。

彼女は長いこと悩み、私も散々相談に乗った結果、地元の県立美術館の非正規事務員にになります。

そこは人間関係も良く、前職とは打って変わってとても楽しそうに生き生きと過ごしている話を聞くようになりました。

一方私も入社以来パワハラやモラハラが横行する部署で働いていたため、彼女が職場で認められていて仕事もやりがいがあると言っているのを聞くと胸がチクチクし、悲しいような虚しいような気持ちになりましたが、素直に友達の幸せが嬉しい部分もあり、楽しく話を聞いていました。

しかし、その美術館での仕事は非正規なので期限付きです。しばらくすると彼女は非正規なのが嫌だとしきりにこぼすようになりました。

県の組織が居心地が良いなら、まだ20代ですし公務員試験を受ける手もあります。それを提案しましたが、彼女は勉強は苦手だし公務員になりたいわけではないと言いました。

正社員がいい、でも美術から離れるのは嫌だ。

絵を描きたい。でも仕事で疲れている日は描けない。

私の力を認められるところで働きたい。でも地元から出たくない。

そういうちぐはぐな印象の発言が増えて、そのうちだんだんと彼女は順調に見える人を羨んだり、反対にどこか見下すような発言が増えていきました。

というのも、彼女は何かのコンテストでちょこちょこ賞をもらっていたらしく、非正規でのんびりと働きながら余った時間で絵を描く生活を続けていました。

しかしながら、田舎の事務員ですので当然ながら給料も低く、夫さんもずっと非正規で講師をやりながら同じく自分の作品をコンテストに応募したり自費で個展を開いたりしていましたので、家計は相当苦しいようでした。

そのため、彼女は単発でカメラマンのアルバイトをしたりしていましたが、いつの間にかとにかくお金と自分のスキルへの報酬にに執着するようになっていて、なんだか「あれ…?」「えっ…?」と思う言動が増えていきました。

例えば、友達に結婚式のカメラマンを頼まれたけど報酬が少ないとか。
私だったら、大切な友達のために自分のスキルを活かせることは純粋に嬉しいし無償でやってあげたいと思うけれども、彼女はもうプロのカメラマンではないにも関わらず、当然のようにお金を払って欲しいと考えているようでした。

私が東京での人脈からイラストや絵を描いてもらう仕事を紹介しても、無償のものは受けません。

ほぼ無名の彼女にとっては、作品を披露する場から人の繋がりができて、次の何かに繋がることもあるかもしれないと思ってのことでしたが、あっさり断られることが多くなりました。

また、職場の美術館でも、「チラシを作ってって言われるんだけど、事務の仕事じゃないし、お給料は出ないんだよね。それってスキルをただで使われてるってことじゃん」と言うことをこぼしていました。

しかし、私は正社員として働く中で仕事には色々と幅があり、さまざまな業務をするのは当たり前であることを学んでいたので、この発言には首をかしげるしかありません。
派遣社員など契約内容がきっちりと決まっていて、特定の業務のみをやる場合もありますが、彼女は簡単な仕事しかやれないことも嫌なようでした。

それだと、せっかく任せてもらった自分の得意を活かせる業務ってむしろ喜んで良いはずですが、単発のアルバイトなどで(あまり高くも無い)スキルを切り売りしていた彼女は、感覚的に何かをしたらすぐお金に直結するものと思うようになっていったようです。

クリエイティブなことがしたい、でも良い企業で正社員にもなりたい。
話は堂々巡りです。

いったい彼女はどこを目指しているんだろうと困惑を感じるようになってきた矢先、私は転職した会社でセクハラに遭い、適応障害になって実家に帰ることになりました。

その出来事がきっかけで、もはや夢追い人の彼女は私にとってプラスになる存在ではないと気づくことになるのです。


不幸自慢とプライドと


過度なストレスに耐えすぎて鬱症状も発祥していた私は、不眠に絶え間無い頭痛と吐き気、そしてセクハラのフラッシュバックによるパニック症状に悩まされていました。

他人を気遣う余裕は全くありません。

それなのに、彼女は私を気遣うのもそこそこに、また自分の美術に関する悩みを吐き出してきました。

そして、鬱で苦しんでいることを打ち明けると、なぜか冷たい態度になり、「私もそうだったよ」と自分の辛い体験を長々と一方的に始めたのです。

その瞬間、私は身体に症状が出るほど具合が悪くなりました。

それ以上椅子に座っていることも話を続けることも出来なくなり、そうそうに会話を切り上げて彼女と離れ、横になりました。

後から思うと、彼女は「不幸自慢」というある種のマウンティングを私にしていたんだなと分かりました。

精神状態が極限まで消耗し切った時に他人から悪意を向けられてはたまったものではありません。

その後も、私がLINEをしても自分の都合の良いときにしか返しませんが、自分の愚痴や泣き言はいつものように送ってくるという思いやりのないやりとりが多くなりました。

彼女は絵のほうでは少しずつ賞を取ったりグループで個展を開いてみたりと順調に活動していたようで、その嬉しい報告をしてくると一緒に喜ばねばならず(この時点で思えば私はもう無理をしていたのですが)、さらにいかに自分が美術界隈の権威のある人と知り合いになった方いう話が増えていって、ついていけないし感覚がずれていることを認識することが多くなりました。

この「自分のスキルを高く見積もる」「人脈自慢をする」って、三流の人間によくありがちな傾向です。

若い頃は優しくてとても謙虚な子でしたが、歳月の中で変わっていき、気づけば経済面ではがたがたで、良い歳をしてロクな職歴がなく、反対に芸術の世界においては自分を過大評価するような思考の人になっていました。

大切な友達だった彼女は、私にとってもう信頼できる存在ではなくなっていました。


道は分かれていったけれど


結局、それまで毎年祝い合っていた誕生日をスルーされるという出来事がきっかけになり、私は彼女と連絡をとるのをやめました。

彼女にとって私はもう大切な存在ではないんだなとはっきりわかった気がしましたし、彼女が私よりも大切にし出した同じく薄っぺらく夢を追う人たちとの交流を大事にし始めたのをみて、もう住んでいる世界が違うことを実感したのです。

「大切な友達」というフィルターをはずして彼女を見ると、改めてなかなかやばい人だなと思いました。

30代にもなるのに夢追い人で、でもその夢を掴むために全力になるわけでもなくゆるゆる生きていて、夫婦揃って非正規で、貯金もないのに自分の好きな芸術の活動のためのお金はじゃぶじゃぶ使っていて(キャンバスや絵の具やカメラって高いですし、結構しょっちゅう日本全国の個展に夫婦揃って出かけていました)、それでいて真面目にこつこつ働いている人の生活ぶりや給料を妬んで攻撃したり、しまいには生活保護の人を羨むような発言があったりと、もはや人間性に尊敬や共感できるものはなく、付き合っていく上でなんの良さもない存在になっていました。

でもそれは、全て彼女が選んだ結果なんですよね、今思うと。

30歳を超えた今は、やりたい事とやれることに折り合いをつけ、しっかりと将来を見据えられる仕事と生活をしていることが、そして努力の結果として手に入れた「自立した普通の生活」をしていることが、何より誇らしいと思えます。

私も色々あったけれど、なんだかんだずっと真面目にそれなりに激動の仕事を乗り越えてきて、それが年相応の経験と収入につながっていることが、頑張ってきてよかったことだと思えます。

一方で、自分の好きなように生きている彼女も彼女なりに幸せなのかもしれないけれど、もうその道以外は選べない人間になっており、私はその道(生き方)を選ばなくてよかったと思っています。

地に足をつけながら、自分の生活を守りながらやれる範囲でやりたい事をする。それが私にとって納得できるまともな人間の基準です。そしてそう言う人たちと付き合っていきたい。

間違っても、他人からエネルギーやあまつさえお金を吸い取るような人間にはなりたくないです。

彼女と袂を分かつことは、私にとって想像もしていなかったことでしたが、その時が来れば自然な出来事でした。

人生ってこんなこともあるのねぇ…と思いましたが、不思議と寂しさはありません。

人と人とが別の道を行くってこういう事なんだなとすっと受け入れられた気がします。

そして、彼女との縁を切った後に、私には良いご縁がたくさんありました。

人はご縁も時と共に断捨離していく必要があるのかなと思ったりしました。

「自分の道を行く」って、昔からのものを大切にすることだけではなく、その時の自分にとって大切な存在を見つけていく事なのかもしれないと。


これが幼馴染の夢追い人のお話です。

今彼女がどうしているのか全く知りませんが、正直あの時より悲惨な生活をしていようと成功していようとどうでもいい気持ちです。

ただ、一つ言えるのは、もう他人のことにのめり込みすぎないようにしようというのと、薄っぺらい夢追い人と関わるのはやめようと思っていることです。

たいてい、夢追い人で終わる人は他人にパワーを与えられる人ではなく、吸い取る人だなと思うからです。

みなさんもお気をつけて。



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