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創作/SS『やりたいことノート』

1冊のノート。僕はそれを持っていくか悩んで、ひとまず机に置いた。
ネクタイをしめながら窓の外を見る。
今日は天気がいい。でも、少し風が強いみたいだ。
桜が、散っている。

僕たちは、一緒に住むときにノートを買った。
厳密に言えば、君が買ってきたんだ。
やりたいことを書き出していって、一緒に全部やるんだと君は言った。
どこかで見た映画みたいだけど、なんだかとても楽しそうな提案だった。
思いついたら書いて、終わったものには線を引く。

初めに書いたのは、最後のページだった。
「ねぇ、どちらがこのページに線を引くのかな」
僕たちは顔を見合わせた。
君は、いつものような勝気な笑顔で言った。
「絶対、わたし」
思わず笑ってしまったけれど、多分そうなるんだろうなと思った。

それから色んなことを書いた。
行きたいところ、食べたいもの、欲しいもの。
初めは遠慮がちに“温泉に入る”とか書いてあったのに、“エアーズロックに登る”と書いてあった日には何のテレビに影響されたのかと思った。
「ごめん、これは行けないよ。」
「やだ。書いたことは絶対だもん。」
「どうしてもだめ。」
「なんで?」
「もう観光出来ないんだ。」
君は真ん丸な目をもっと丸くして言った。
「じゃあグランドキャニオンにする!」
どれだけ岩山に登りたいんだ。
大真面目な顔で突拍子もないことを言ってくる君は、可笑しくて、とても可愛くて愛おしかった。

僕たちは“スカイダイビング”に行った。
はっきり言って僕は高いところが大嫌いだ。
でも書いてあることは絶対なのだと言うから、仕方なしに小型飛行機に乗り込む。
ああ嫌だ嫌だと思いながらも、ちらりと見えた空からの景色はとても綺麗だった。
いよいよだというとき君を見ると、能面のような顔をしていた。
なんだよ、君も怖いんじゃないか。緊張が少しだけほぐれた。
なんだかんだ言って、僕も君も地上に降りたときは大笑いしていた。
僕だけだったら絶対にやることはなかったと思う。
君はいつも、僕に新しい気持ちを連れてきてくれた。
君といると、とても楽しくて、次は何をしようかとわくわくしたんだ。

そんな僕らも、たまにはケンカをした。
なぜだったかは忘れてしまうくらいの、ほんの些細なこと。
お互いが意地を張って、口も聞かないで仕事へ行った。
でも僕はノートに書いたんだ。
“仲直りをしたい”
君はそんなの知らないふりをしているようだった。
さっきノートを見ていたくせに。
普通にごめんねと言えば済むことなのに、なぜだか譲れない気持ちになっていた。
そんなとき君がノートを差し出した。
「ねぇ、わたし、先に書いたつもりなのにページ間違ってた」
そう言って、何ページか先を開いたところには“ ごめんねと言いたい”と書いてあった。
僕は、君を強く強く抱きしめた。
「ごめん」
「わたしが言いたかったのに」
「ごめん」
「じゃあ、仲直りだね」
2人でそれぞれのページに線を引いた。
そして、ケンカをしたときはノートを使わないことに決めた。

たくさん、やりたいことをやった。
君とだから出来ること。君と一緒にしたいこと。


ある日を境に、2人で出来ることは段々少なくなった。


その代わりに僕が、僕だから君に出来ることがたくさんあるのだと教えてもらった。

“手づくりのお弁当が食べたい”と書いてあったから、一生懸命作った。
不格好で焦げた玉子焼きを、おいしいと言って食べてくれた。

“夜眠れるようにお話をしてほしい”には、スマホに一生懸命録音してみた。
何度も何度も噛んだけれど、いつも聴くよと言ってくれた。

“桜が見たい”と書いてあった。
まだ秋なのに。
仕方がないから秋桜を買っていった。
そういうんじゃないと君は笑って窓の外を眺める。
少しだけ香る金木犀は散り始めていて、君の待つ鮮やかな風が吹くまですぐなのに。
もうすぐなのに。
一緒に見れるかなと言う声に、ノートに書いたことは絶対だと返した。
そう、絶対。

“ 映画を見たい”
“ 本を読みたい”
“ おばあちゃんに会いたい”
“ 雪だるまをつくりたい”
“ マフラーを編んでみたい”
“ 可愛く写真に写りたい”
“ 外に出たい”
“ 毎日会いたい”

君がノートを書くたびに、僕は嬉しくなった。
もしそれが君の希望になるなら、僕はすべてを叶えてあげよう。
こんなことくらいしかできない僕を、僕自身が許してほしかったのかもしれない。

弱々しくなった君の手に僕の手を添えて、何を書こうか一緒に考えたりもした。
食べたいものや行きたい場所よりも、一緒にいられる時間がすべてになった。
結局いつも、どちらかが“明日も会いたい”と言い出して終わりになった。

会えるだけでよかった。君の寝ている姿を見るだけでよかった。
声も聴けなくなって、手を握って、それでも君がそこにいてくれることが僕のすべてだった。

そして。もうノートに君の書いた文字が綴られることはない。

今日は天気がいい。よかった。
君が旅立つには青空が良く似合う。
もうマフラーはいらないかもな、とネクタイをしめながら思う。
少し風が強いみたいだ。
桜が、散っている。

机に置いたノートを開いた。つい最近君の手をとって一緒に線をひいたページ。
“桜が見たい”
ほら、一緒に見れただろう。絶対なんだ。

そして、僕は最後のページを開く。
色んなことを思い出す。
君の強気な笑顔。勝負は、僕の勝ちだなと思いながら線をひく。

“どちらかが死ぬまでずっと一緒”

ふと君の声が聞こえた気がして、窓を開けた。風がパラパラとページをめくる。
「あれ…?」
僕は真っ白なページの片隅に、小さく小さく書かれた文字を見つけた。

“次もあなたと出会う、絶対”

なんだよ。勝てないな。

君の勝気な笑顔。君の優しい手。君の鈴の鳴るような声。君の。君の。
春の暖かな風に舞う桜のように、君のすべてが僕の頭の中をかけめぐる。

ノートは君のところへ持っていこうと思っていたけれどやめた。
僕が君のところへ行くまで、また会える日まで。

絶対。

僕は、君の編んだマフラーを強く、強く抱きしめた。


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