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言うほどのこと

何かあったら言ってね
大丈夫?
無理しないで

とてもとても優しい言葉たち。

でもわたしは、これを言われたらすくんでしまう。どうしたらいいのかわからない。回線が壊れたように、にっこり笑って「ありがとう!」「大丈夫だよ」と返すのだ。

わたしは、自分のことを言うのが苦手だ。苦手どころではない。そもそも選択肢が存在すらしていない。本当にしんどいときこそ、言葉は奥へ引っ込んでいく。辛い、とか、助けて、とか、無理かも、とか。言葉は存在するけど、それを外に出すことはない。

なぜか。

「言うほどのこと」ではないと思っているから。

だって、自分のことでしょう。自分でなんとかしなくては。大丈夫。言ってどうなる。相手が負担だ。まだできる。まだやれる。動けるうちは無理じゃない。やれ、やれる。頑張れるよ。大丈夫大丈夫。辛いかどうか。うん。少し辛い。でも、やらなきゃ。できるもん。やれば、できる。できることは、わざわざ言わなくていいんだ。言うほどのことじゃあないよ。

根底にあるのは、これ。

幼い頃から、わたしがなんとかしなきゃいけなかった。色んなことを。それが、この考え方の基本を作っているのかなぁと考えたりもする。

だって、自分のことも、おうちのことも、家族のことも、わたしがやらなきゃだった。アル中でうつ病で、すぐ手が出る、包丁を向けてくるような父親。認知症のじいちゃんの介護。弱音を言う場所も、なかった。言うほどのことではないから。言う暇もなかった。そのうち言葉はお腹の中に消えていった。やればできるから。いい子だもん。

カテゴライズするなら、わたしは、アダルトチルドレンなのかもね。特徴に当てはまってるかは、知らない。

そんなわたしでもさ、大切な人が、辛くて助けてって座り込んでいたら、それはもうすぐにでも駆け寄って、抱きしめたい。言葉になるなら、出していいよって。ならないなら、横にいるねって。何もできないけど、それで気持ちが楽になるなら、いつまでもこうしてるよ。大丈夫だよ。って伝えたいのに。

どうして、自分のこととなると、わからなくなってしまうんだろう。

もしかしたら、わたしのことを大切に思う誰かさんも、こう思っているのかなぁ。そうだよって言ってくれても、そのときになったら、きっとわたしは言葉に詰まる。

解決策もなんにもないのに、こうしてここに書くのは、ほんとは言いたいことがあるからなのかな。

とてもとても、めんどくさいやつー。やーね。

少しずつ、少しずつ、ひとつずつ。言葉に、してみようかな。





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