「新型コロナウィルスと共に生きる」はナウシカの世界
「身体が自然を渇望している……」
ここ最近、在宅ワークと外出自粛続きのせいか、
何とも言えない脱力感、倦怠感に苛まれている。
まるで宿題がはかどらなくて、悶々としている小学生時代の夏休みのような感じだ。
何よりも辛いことは、行きたいところへ行き、思う存分自然を味わったり、外で身体を動かせないこと。
外に出ないで生きるということは、職種にもよるが、消費の面では、
頑張れば可能なのかもしれない。
今や生活必需品は、なんでもネットで購入できる時代になった。
でも自然との関わり、他の生態系との関わりなくして、
人類は生きていけないな、とつくづく思う。
我々人間も地球上の生態系の一部であり、太陽の光がなければ生命を維持
できないし、口に入る野菜や果物、魚や肉は、自然生態系そのものである。
現代社会で生きる私たちも大なり小なり自然を美しいと感じたり、
その恩恵を受けている。
例えば桜の開花を心待ちにしたり、紅葉した木々を見に行ったりすることもあれば、旬のものとして季節の食材を味わうこともある。
よりおいしいその土地の食材を求めて、
別の地域を訪ねて行くこともあるだろう。
通勤途中でも、ふと、ほのかに香る金木犀に気がついて、
「ああ、もうそんな季節がやってきたんだね」
と秋の訪れを確認する瞬間もある。
何気なく、自然を感じる時間があるから、
小さな幸せを感じて過ごすことができている。
それが今はどうだろう。
行きたいところに行けず、外出するときは必ずマスクをして、
警戒しながら出かける。
まるで「風の谷のナウシカ」の腐海に出かけていくような感じだ。
今生きている世界自体、ある意味、ナウシカの世界なのかもしれない。
新型コロナウィルスは瘴気、人間たちは権力争いや戦争に明け暮れており、地球上に生きる生態系の一部であることを忘れている。経済活動を優先するあまり自然を破壊し、遺伝子を組み換えたり、恐ろしい兵器を生み出し、
他の生物が絶滅していくことには無関心である。そしてさらには、
トロフィーハンティングのように人間の欲望を満たすためだけに
ライオンや、シマウマが殺されている。
漫画ナウシカでは蟲の大群が南を目指しているとき、
トルメキア軍の「閣下」が退屈しのぎに射撃の腕を見せようと
竜のように長い蟲、ヘビケラを「一発で仕留めたら1000グレイン」という
シーンがあるのだが、このシーンは正に、
トロフィーハンティングを思わせる。
新型コロナウィルスは突然やってきたように見えるが、そもそも地球上には数えきれないほどのウィルスが存在する。ウィルスと言えば病気の原因と
考えがちだが、2000年には、あるウィルスが一枚の細胞膜となって
人の胎児を守っていることが解明されているし、
植物に干ばつ耐性や耐熱性を与えてくれるウィルスもいるらしい。
ウィルスも地球上の生態系の一部なのだ。
新型コロナウィルスが世界中に広がって、
「人間の身勝手さにしびれを切らした地球が悲鳴を上げている」と、
揶揄する記事を目にするが、一理あると思ってしまう。
2007年のナショナルジオグラフィックには「人と動物を襲う感染症」という記事があるのだが、人間は世界中で動物の領域を侵し、病原体との接触機会を増やしていると言っている。
そもそもウィルスは野生動物やコウモリから人に感染することが多いが、
なぜコウモリなのか。
その答えにはコウモリの特性が影響している。
少なくとも5200万年前から地球に住み、種類は哺乳類全体の20%にも及び、南極を除くほとんどの陸地に適応し存続。空を飛べるだけでなく、森の中で地面から樹上まで垂直方向にも自由に動ける。つまり、コウモリはネズミやサル、肉食動物、鳥類、ヘビ、チンパンジー、ゴリラなど地上や樹上に暮らす様々な生き物に触れる可能性を持っている。
そして人間の自然破壊によって住処を奪われたコウモリが人里に近い木々で生息することにより、人間との接触機会が増えているというわけだ。
新型コロナウィルスは一時的に収束しても別の国で感染者が増えている。
そんな今の状況では目に見えないウィルスと共存していく方法を
考えなければならないだろう。
人はいつまでも身を隠しているだけでは生き延びられない。
今すべてに答えはないが、まずはSARSやエボラ出血熱の時のように、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とならないことが一番重要なのではないか。
そして今まで通り、人間中心の経済活動ではなく、
かといって地球を救うとか、
ナウシカで神聖皇帝が夢見た「人間を救いたい」などという妄想でもなく、地球生態系の一部としての生き方を試されているのだと思う。
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