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鬱病になってよかった、とまでは思わないけども

ときどき鬱病に罹患した当時のことを思い出す。
当時は妻が双極性障害を発症してその治療中だったし、初めての精神疾患、初めての躁転、本当に分からないことだらけだった。

でも、彼女のそれが落ち着きを見せてきたころ、今度は私が変になってきた。寝れないし突然泣いてしまうし、怒りの「地雷源」がどこにあるのか分からない。そんな状態が続き、職場でのできごとが決め手となって、私は鬱病となった。

そこからは本当にいろいろあったし、いまこうして脱鬱のことを考えられるくらいには寛解を目指すことができているけれど、それでも、よく聞くように、「鬱病にならなくていいなら、ならないほうがいい」というのは、私はどこか違和感を感じる。

確かに病気になって変化してしまったことや、引き返せないこと、取り戻せないことは多いと思う。

病気になる前は、確かにもっと意欲的にいろんなことをしていた気がするし、英語の勉強というか、色んな本を読んだり研究したり、プライベートをそれに費やすことを厭わない性格だった。鬱病になってからは、活字が読めなく(頭に入らなく)なったし、授業をする間、教科書は読めても、小説など、感情がひどく揺さぶられるものへの拒否感がかなりあった。だから、あれだけ好きだった恋愛小説も、ここ何年間も読んでいない。

でも鬱病になったおかげで、私は仕事と自分との距離感を考え直すことができたし、鬱病のおかげで、私は自分の性自認の違和感にも、「気のせいじゃなかった」と言えるようになった。職場を変え、今の勤務校に移ることができた。普段はゲームしてばかりいるけど、時々プライベートの時間に英語の勉強をすることができるようにもなった。

性自認の在り方というか、そこに気づけたかどうか、というのはとても大きな出来事だったけど、それを抜きにしても、やっぱり「鬱病になったからこそ気づけたこと」は大きいと思う。
一番大きかったのは、他者の辛さ、痛みというのが分かるようになったことなのかもしれない。
それまでは、主観で想像することはできても、共感することはできなかったから。

でも病気になって以降、SNSにあふれる「苦しい」っていうつぶやきに、私は深く共感できた。「同じ立場に立たなければ絶対に分からないことってあるんだ」って思った。

それらの代償は、とても大きかったけど……。

だから、「鬱病になってしまったら、人生が詰む」みたいに考えないで欲しいと、強く思ってる。確かに苦しい時期が続くし、マイナス面ばかりが多くてプラス面のことなんてほんのちょっとしかないっていつも思うけど、それでも、私みたいに思える日が、いつか来るかもしれないから。

まぁ、私も今は、こうして安定しているだけなのかもしれないけど。

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