ジェンダー日記#2 髪型

仕事の愚痴は置いておくとして、ジェンダー日記#2。今回は髪型のことを少し。

生まれた身体が男性の方は、一般社会でも髪型についても、一定の暗黙の規定がある気がします。飲食店、企業、公務員、職種を問わずですが、あくまでも「男として身だしなみが整っていると見える範囲」というのが、暗黙のルールだと感じ続けています。

1.20代から30代真ん中:私立高校勤務時代

私は、今は別の高校に職場を変えていますが、それまでは私立高校の教諭でした。性自認の揺れ・ズレを感じる以前からそこに専任教諭として採用されていたので、違和感をそれほど感じることなく、そこで働く教員に一人として、生徒に頭髪指導なども行ってきました。

私立高校は校則が国公立高校よりも厳しいのが普通だと思います。私がいたその私立高校は、県内でも特に厳しいとの噂(あくまでも噂です。県内の他の私立で専任として働いたことはなかったので、本当のところは知る由もありませんでした)がありました。

生徒にも厳しい以上、教員(男性教員)にも、頭髪に関しては暗黙のルールがあるようで、あまり長すぎたりすると管理職から注意を受けていたようでした。それもありましたし、生徒から「先生だって長いじゃないか!」と言われてしまうとグーの音が出ない、というか。「大人は身だしなみの一環だからいいんだよ」とって、納得する年代でもないんですよね。

そんな環境で10年以上働いてきて、業務上、聞いたこともないようなエラーが発生し、その対応で心の負荷がかかりすぎて、弾け飛んでしまったのが鬱病の始まりでもあり、同時に自分を見つめ続け、性自認の揺れ・ズレに気づけたタイミングでも有りました。

2.30代後半:転職活動と内定通知、そして新しい職場(都内某高校)1年目〜2年目あたり

家人の双極性障害、その2度の入院、加えて私自身の鬱病との闘病もあり、業務量のより少ない学校への転職活動をはじめ、9月に第2次試験(模擬授業・面接)があり、無事12月に内定をいただきました。

そこからちょっとずつ心にゆとりができはじめて、「どうせあと3ヶ月で辞めるんだし」という気持ちもあり、髪を伸ばし始めました。本当に短髪だったんですが、少しずつ伸ばして、少しずつフォルムを中性的(女性寄り)にしてもらいながら、というのを繰り返しました。

その時の、美容院のスタイリストさんには、勇気を出して、中性的・女性的な髪型にしていきたいというのを言い、快く応じてくれたことにかなり救われました。それがなければ、今でも美容院で女性の髪型をお願いする、なんてことはできていないと思います。勇気を出してよかった、と今振り返ると思います。

4月に入り、無事、都内の高校に移ることとなりました。髪型は、そのときには耳が隠れるくらいの、丸めのフォルムだったのですが、すこしずつ、本当に少しずつ、周りの様子を見ながら、髪を伸ばし続けました。

同時に、2年目に入ったあたりからは、ヘアピンを使い始めました。その頃は、たぶんショートボブくらいになっていたと思います。3コインズなんかでいろいろ揃えて、耳に髪をかけて、色んな種類の可愛いピンで留めたりしていました。

それでも髪型やヘアピンを咎める管理職の声はなかったので、どんどん私は突き進んでいき、ヘアピンだけでなく、イヤリングを同じく3コインズでいくつも買い、冬の忘年会あたりで、ようやく他の女性教員から、「そういった可愛いアクセサリーなんかがお好きなんですね」っていう会話をされ、そこから少しずつ、周りに私が性同一性障害であることを打ち明けていきました(都内に勤務するようになって半年後くらいに、主治医から診断書をもらいました)。そこから、3年目になり、本格的に異性装勤務を始める決意をしました。

今は4年目に入っていますが、去年一年間は、ずっと髪を伸ばしていて、肩にかかって、もう3,4センチあるくらいの長さでした。前髪を作らずにいたり、やっぱり前髪を作ったり、色々試したり、髪を後ろでくくったりするのにもすごく憧れていたので、試せることは試せたかな、と思い、今はショートボブに戻しちゃいました。「伸ばしてた頃より余計に女っぽい」と皮肉っぽく家人に言われますが、私は気に入っています。イヤリングが映えるんですよ。この長さ。

ちなみに、都内に勤務するようになり、引っ越しもして、美容院も変えました。1年目のときに見つけた美容院で、最初に担当してくれたスタイリストさんに、性同一性障害のことも打ち明けて、髪をこうしてほしい、ああしてほしい、といろいろ相談できるようになりました。スタイリストさんからも、ヘアケアに関していろんなアドバイスをもらいますし、「女性」の髪型を、いかに綺麗に可愛く見せられるか、というお話もよくしてくれます。本当に助かってます。

3.まとめ

当然、家人とのぶつかりあいも何度もあり、離婚も考えたことも当然あります。子供の参観日に髪を後ろで結んでいって(ポニーテール)、それを観た子供の同級生が、私の子をからかう、みたいな事件?もありました。それ以来私は参観日には行かないようにしていますが…。

そんな、結婚して子供も設けたあとで、「何を今更性同一性障害なんて言ってるんだ」「子供も生まれて、たしかに男だったじゃないか」なんてこともさんざん欝で入院している時に言われたことです。

それでもこの生き方を選べたのは、入院していたときに、看護師さんから言われた言葉があったからです。「Sayaさんは、いままで灰色だったものが、女性に近づきたい、って思えるときは楽しく思えるんですよね。だったら、その道があなたの生きる道ですよ」って。「もうここ(精神科入院病棟)には戻ってこないようになるといいですね」とお別れのときに言ってもらえたのも忘れられません。

髪型。男女を区分けするシンボル・象徴・目印なのかもしれません。でも、髪型自体に性別があるわけでもあるまいし、社会が作り出した「役割」にくっついたように、「男性としての社会人像」「女性としての社会人像」に、髪型という規範が加わっているんでしょうね。

今の勤務校は、少し大きな衝突を管理職と繰り広げましたが、権利を勝ち取り、異性装勤務を続けています。スカートもワンピースも着ますし、ヒールもストッキングもタイツも履いています。生徒の反応は、というと、中性的な?私という存在を受け入れてくれていて、よくファッションやおしゃれの情報交換をしています。密かな楽しみです。

髪を伸ばしてみたい、ポニーテールにしてみたい、女性のような髪型にして生きていきたい、そう考える方は、きっと多いと思います。私は職場に救われて、こうして異性装勤務を実現できています。

なにか突破口がある。そう思います。諦めずに生きてください。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?