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(劇評)百万石演劇大合戦 予選公演A

「いしかわ百万石文化祭2023」参加事業として、金沢市民芸術村にて「百万石演劇大合戦」が開催された。これは上演時間が30分以内の短編演劇のフェスティバルである。金沢市民芸術村は金沢市民の創作の場であるが、今回の「いしかわ百万石文化祭2023」を機に、県外の団体にもその場を開放し、全国から演劇祭への応募を受け付けた。百万石演劇大合戦実行委員会による選考を経て選ばれた、北陸6団体、全国6団体が、3団体ずつの予選に挑む。そこで観客投票によって選ばれた各予選の最多得票団体が、決勝公演に臨むこととなる。

ここでは予選Aに参加の作品の内容に触れるため、決勝公演を鑑賞する方で、事前に作品についての情報を入れたくない場合は、鑑賞後に読んでいただけると幸いである。

11/3(金・祝)、4(土)、5(日)には予選公演AとBが行われた。各予選は2回行われ、2回分の合計得票数で決勝公演への参加が決まる。筆者は4日に予選AとBを鑑賞した。会場は2間×2間の四方囲み舞台となっている。

まずは石川県の「Coffeeジョキャニーニャ」(以下、ジョキャニーニャ)。作品は『ときねこさばき』(脚本:新津孝太)という、落語の『ときそば』、『猫の皿』、『天狗裁き』をベースにしたもので、再演であるらしい。舞台に大きな装置は準備されず、両手で持ち運べる黒い箱が三つほど、その都度、形や置き場所を変えて使用されていた。7名の役者が舞台と観客席脇の通路を行き来し、そのいくらか速いテンポに観客を引きつけていく。そば屋での勘定を誤魔化すやりとりが滑稽な『ときそば』に始まり、猫の餌の皿として使われている、高価な皿を巡っての攻防を表現した『猫の皿』と続く。そこに突然「暴れ馬だ!」の声が上がる。暴れ馬にはねられた原八(中里和寛)は、異世界に転生し、勇者として魔王を倒す旅に出る。だが、旅も進まぬうちに原八は魔王の手下に斬られ、何度も死んでは生き返る、を繰り返す。最終的には夢オチであった、となるのだが、そのあたりが『天狗裁き』の要素であろう。

ジョキャニーニャの作品の特徴は、親しみやすいコメディ展開にあると思うが、そのコメディにはいくらかのシニカル要素が含まれている。物事を斜めに見ての表現は、なるほどと思いもさせるが、その問題の当事者にとっては批判にも感じられる可能性がある。今回の作品で具体的に述べると、魔王の手下による攻撃を受けて倒れた原八が、いつの間にか原発の暗喩として語られているシーンがあった。「これはそういう話じゃない」との声で芝居は元に戻る。いきなりの社会派展開で、観客を驚かせる演出として利いていたと思うが、物事の扱い方に危うさを感じもした。しかし全体としては、元々テンポ感のあるジョキャニーニャの芝居をさらにスピードアップさせ、凝縮し、しかし観客を混乱させずに見せる作品となっていた。有名な落語のネタということで、観客があらすじをなんとなく知っているところをうまく利用し、アレンジとしてのジョキャニーニャ色を付けることに成功していたと感じる。

続いて、福井県の「黒後家蜘蛛の会」による『インターバルとしてのモーニング』(脚本・演出:睫唯幸)。黒後家蜘蛛の会は、演衆やむなし所属の睫唯幸が、大合戦参加のために立ち上げた団体である。舞台中央にはラグが敷かれ、その上には丸テーブルが置かれた。四方には食器や、脱ぎ散らかしたような服が置かれる。けだるげな女性(酒井和美)が食器のところで何かを行っている。しばらくして、下半身にバスタオルを巻いただけの男性(中谷幸一郎)がやってくる。彼は自分の下着を探すが、彼女は洗濯してしまったと話す。スウェットとかあるからと言われ、彼はそれを探しに、いったん舞台を降りる。男物のスウェットを着て戻ってきた彼と彼女が会話をしていく中で、二人は行きずりの関係で、一晩を共にして朝を迎えたことがわかる。女からは「セックスした日は肉を食べるの」というはっきりした発言がある。二人は女が焼いた肉や、炊けたご飯、カップに注いだ牛乳を舞台上で実際に飲食し、会話をして、徐々にその距離感を変えていく。

食欲と性欲、この二つの欲求は密接に関わり合っている。自分が生きていくための食欲と、自分を継ぐ誰かが生きていけるようにするための性欲。二つは大きな「生」を続けていくために必要な欲求である。だからかどうかは知らないが、食事の仕方が苦手だと感じる人物とは、よい関係をつくりづらいように思われる。逆に、楽しく食卓を囲めるような人となら、よい関係をつくりやすいだろう。『インターバルとしてのモーニング』の二人は運良く、性欲と食欲の二つの点で嗜好の一致をみた。そんな幸福な事例をじっくりと描き出した会話劇であった。会話の端々で明らかになった二人のディテールから、女性や男性の過去を想像してみることもできる。これを利用していくらかドラマチックにできたような気もするが、脚本・演出の意図としては、二人の時間を淡々と描こうとしたのだろうと感じた。

そして3作目は石川県の「星の劇団」による『あなたと世界の、ちょうど半分のところ』(脚本:池端明日美、演出:浅賀香太、松本梨留)だ。星の劇団は、星稜高校演劇部の出身者と顧問からなる劇団である。舞台転換時には、中央に2台の長テーブルと2客の椅子が、舞台の四角に対して斜めになるように設置され、テーブルの間に窓のような高い木枠が置かれた。筆者が座っていた側から見えた木枠には、ピンクを基調にした写真のような物が多数貼り付けられていた。そして机の上には、さまざまなメイク道具が並ぶ。女の子の部屋といった雰囲気である。反対側から見える木枠には、付箋などが貼り付けられ、机には文具があったらしい。筆者の側から見える椅子には、学校制服のような短めのスカートにパーカーを羽織ったミイ(松本梨留)が、反対側の椅子にはスーツ姿のユウ(米山綾杜)が座った。観る位置からでだいぶ印象が異なるだろう。筆者はミイ視点で観進めることとなったが、ユウ視点で観ていれば、違った感想を抱くことになったはずだ。

二人はオンラインゲームができるネット上で会話をしているようだ。ユウはミイとコミュニケーションを取りたくて仕方ない、といった様子で、ポーカーをしようと持ちかける。ご機嫌斜めだったミイだが、彼に付き合ってはくれる。ゲームの展開によって、それぞれの質問に答え、お互いを知っていく二人。だが、ミイは自分を「保育士」と言うなど嘘をついていて、ユウもどうやら、アイコンの写真にある白人男性ではないようだ。ミイには時々、電話がかかってくる。ユウに対応しているときの甘い作り声とは違う、荒い声色で電話に対応するミイ。彼女はネットを利用した犯罪に関わっているようであり、ユウを欺し口座に入金させることに成功する。

ネット犯罪をテーマとして扱い、その悪には毅然と対応した作品だった。ユウは一般人を装いネットに潜入していた捜査官だったのだ。ミイの言動からは、彼女の中に溜まった鬱憤が吐き出されるような重さと、それでいて危険な犯罪に手を染めてしまう心の不安定さのようなものが垣間見えた。タイトルの「あなたと世界の、ちょうど半分のところ」という文言は、作中でもユウが口にする。自分と世界がつながりあうことのできる、半分のところで出会えたこと。その出会いがミイを救うものであればよかったのにと感じた。少しの間だけでもミイが本心から楽しめる瞬間が、もっと鮮明に表現されていたならばと。しかしそんな甘さは、犯罪を摘発するという業務には必要ないものであるだろうし、そこで少しでも優しさを見せてしまったユウの不注意であるのかもしれない。情で人は救えないのだろうかと考えさせられた。

3作品の上演後、観客による投票が行われた。ここでは「もう一度観たいと思った作品」に投票するようにアナウンスがなされた。出入り口近くで配られている小さなボールを一つ受け取り、設置された投票箱にいれて、別の出入り口から客席に戻る。投票完了後すぐに、客席で投票の結果が見られるという仕組みになっていた。11月4日14時の回の予選公演Aでは、ジョキャニーニャが最多得票を記録した。よって、前日、3日19時の回でも最多得票だったジョキャニーニャが決勝に進出することとなった。


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