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(劇評)百万石演劇大合戦 予選公演D

「いしかわ百万石文化祭2023」参加事業として、金沢市民芸術村にて「百万石演劇大合戦」が開催された。これは上演時間が30分以内の短編演劇のフェスティバルである。金沢市民芸術村は金沢市民の創作の場であるが、今回の「いしかわ百万石文化祭2023」を機に、県外の団体にもその場を開放し、全国から演劇祭への応募を受け付けた。百万石演劇大合戦実行委員会による選考を経て選ばれた、北陸6団体、全国6団体が、3団体ずつの予選に挑む。そこで観客投票によって選ばれた各予選の最多得票団体が、決勝公演に臨むこととなる。

11/10(金)、11(土)、12(日)には予選公演CとD、そして決勝公演が行われた。各予選は2回行われ、2回分の合計得票数で、12日15時から上演される決勝公演への参加が決まる。筆者は11日に予選CとDを鑑賞し、12日の決勝を鑑賞した。会場は2間×2間の四方囲み舞台となっている。

予選公演Dの最初の上演は沖縄の「芝居屋いぬかい」による『楽屋から』。劇団への所属は犬養憲子の1人であり、今作は犬養の一人芝居であった。舞台には何も置かれていない。客席の間の通路から、沖縄の伝統衣装、琉装を身にまとった犬養(クレジットに役名はないが、犬養ではない誰かであるのかもしれない)が歩み出てきて、舞台へと上がる。そして琉球舞踊を踊る。踊りを終えて彼女は舞台から去る。次の舞踊を紹介するアナウンスが流れている。犬養が、別の衣装がかかったハンガーや何かが入っている袋を手に戻ってくる。舞台の端にハンガーなどを置いた犬養は、着替えを始める。着替えながら彼女は誰かに喋り掛けている。共通の知人女性の話。その女性の夫である外国人男性の話。着替えの動きは止まらないが、喋りも止まらない。そこは舞台の楽屋で、犬養の話相手は踊りの仲間達であろう。ここで気になったのは、ハンガーの位置に合わせて犬養の位置もほぼ固定されてしまい、囲みの客席のうち、犬養の背中ばかり見る客席ができていたことだ。いろんな方向に話し相手がいると仮定するなど、囲み舞台であることがもう少し考慮されていればよかった。

楽屋で話されているのは、仲間同士での世間話なのだが、そこに沖縄が抱えている問題が、ごく自然な流れで現れてくる。その中でも最も大きなものは、米軍基地の存在についてである。犬養は明るい調子で、笑いも交えながら、沖縄の日常と問題を語り続ける。やがて話題は、基地が撤退したらその跡地に何を作るか、という内容になる。犬養はそこにテーマパークを作ろうと提案する。沖縄方言で観光客を迎え、琉球舞踊を見せる。沖縄ならではのおいしい食べ物もあり、自然も美しい海もある。たくさんの人が沖縄に来てくれるだろうということだ。生まれた時から、自分の住居の近くに基地があった。だからといって、基地があることを沖縄の人々が受け入れているわけではない。犬養は当日のチラシに「沖縄人はいつでも笑って乗り越えてきました」と書いている。その笑顔に、沖縄以外の都道府県民、内地の人間は甘えきっているのだ。沖縄人から笑顔を消さないために、内地の人間に何ができるのか。まずは沖縄の現状を知ることであり、その伝達役を犬養が担ってくれているのだ。

続いての上演団体は東京の「ノアノオモチャバコ」。上演作品は『キリコよ、天まで届け!』だ。江戸時代、能登地方輪島のキリコ職人、繁太郎(北川雅一)と、令和、東京で役者を目指す成田(真坂雅)。何の関わりもない2人が、なぜか時空を超えて入れ替わってしまう。繁太郎は博打で負け、借金のために娘・あや(寿春歌)を見ず知らずの男に嫁がせることになっていた。繁太郎となった成田はそのことを知り、なんとか婚姻を止められないかと悩む。成田となった繁太郎は彼女・のり(眞庭美和)から別れを切り出されてしまう。二人は入れ替わってしまったままではなく、何かの拍子で、異空間にて出会うことができた。互いの状況を知り、それぞれの問題解決のために、繁太郎は素晴らしいキリコを作ろうと試み、成田はのりの心をつなぎ止めようと自分を省みる。

役者陣、特に繁太郎と成田が舞台を所狭しと飛び回り、その躍動と照明や音響の効果で勢いのある舞台となっていた。石川県での上演ということで、能登の祭りで使われる大きな灯籠、キリコを題材にした点も良い。だが、なぜ2人が入れ替わることになったのか、2人が出会えている時はどこにいるのか、といった疑問に回答が提示されないまま物語が進んだため、舞台上で起きている「今」に集中しづらくなっていたように思う。また、繁太郎と成田のキャラクターに極端な差が見られず、2人が入れ替わっていることもあり、今はどちらがどちらであるのか、わからなくなったところもあった。2人はそれぞれに問題を抱え、自分の今後に迷っていた。だから通じ合ったのであり、入れ替わったのであろうとは推測できる。しかし、2人が入れ替わらざるを得なかったと納得できるような理由、もしくは因縁のようなものが詳細に詰めてあれば、登場人物達と物語への感情移入の度合いも違ってきたのではと思えた。

3作品目は京都の「笑の内閣」による『君の名は』である。タイトルから察せられるように、この作品は2016年公開のアニメ映画『君の名は』のパロディとなっている。ただし、この上演作品における「君」は、「君が代」の君を指している。田舎暮らしの女子高生・三葉(大山渓花)は今日も婆ちゃん(合田団地)に起こされる。自分の生活に嫌気がさしている三葉は、高貴な血筋の人に生まれ変わりたいと願う。その願いが叶ったのか、三葉は陛下(由良真介)と入れ替わってしまう。孫のあーこ(夏目れみ)が陛下を心配している。入れ替わりは一時的なものであるが度々起こり、二人は互いの行動を記録し、それぞれの生活を続けようとする。三葉になっている陛下はお蝶(高瀬川すてら)とテニス部で活躍する。お蝶を通じて陛下の言動に触れた三葉は、自分でやりたくて始めたもののやる気をなくしていたテニスに、再び向き合うことを決める。その三葉は、陛下になっている時に侍従(高間響)を呼び、会見を開くよう命じる。そして開かれた会見が「お気持ちの表明」と呼ばれる、生前退位の意向を伝えるものだったのだ。

風刺コメディを上演する団体だと聞いていたため、容赦のない辛辣な作品を想像していたのだが、意外にその芯は優しいように思えた。突然の歌などを交え、飽きさせない演出は観客に親切だと感じた。物語を振り返ると、三葉は陛下との出会いによってやる気を取り戻した。そして陛下は、三葉が動いたことによって、秘めていた思いを表明することができた。結果として良い方向に動いた物語のラストには嫌みがない。お気持ちの表明の、その実はどうだったのかなど、私達に知るすべはない。真実がわからないことで想像できる「もしも」のうちの一つを、例えその対象となる人物が天皇陛下であったとしても、笑の内閣はひるむことなく演劇で表現してみせた。天皇家を笑いの種にするなど敬意がない、と感じる観客もいるだろう。そのように拒絶される危険性があるため、難しい題材である。短い上演時間の中で、不必要な誤解を生まない表現をする細やかさも求められる。だが、あえて挑むのであれば、「もしも」にとどまらない批評性がもっと含まれていてもよかったと感じる。この問題における、笑の内閣ならではの主張がより強くてもいい。

11日夜の上演終了後の観客投票、そして12日昼の上演後の投票を合わせ、芝居屋いぬかいが最多得票となり、12日の決勝公演に進出した。


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