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手を動かしてみたら、書けた、かも

noteにて「推し短歌」というものの募集が行われていることを知ったのが、遅かった。面白そうなので一日一首、時々でも書けたらいいなと思っていたら、募集が10月10日までであると気付いたのが、昨日、10日。数日前に一首書いてみて、もう一首手帳に書き留めてあったので、それをアップした。間に合った。

だが、せっかくなのでもうちょっと書いてみたいような気がした。何かできないかなと私は指を折って文字を数え、手帳に書き、線で消して直し、を繰り返してあと三首を作ることができた。「推し短歌」というよりは「オタク短歌」なのであるが、推しへの思いを読んでもよかったはずだから、大丈夫であろう。

これまで、短歌はあまり作ったことがない。なんとなく難しそうに思っているのだ。歌集の読者ではあり、どんな作品があるのかを少しは知っているから、余計にそう感じているのかもしれない。このような募集機会とテーマでなければ、自分でも作ってみようとはしなかっただろう。

でも、とにかく書き出してみたら、書けたのだ。出来は二の次にして、完成させることはできた。書いていなかったこれまでに比べれば、随分な進歩なのではないか。

こんなの書いたら恥ずかしいとか、どうせうまくないとか、そういうことはいったん棚に上げる勇気が必要なのだと思う。評価を気にするのは、書くことに慣れてからでいい。

ノープランであっても、手を動かして文字を書いたり、あるいは打ったりしているうちに、文字が意味を持つ文章になってくることがある。それを期待するのだ。指一本、スマホの上をなんとなく滑らせているうちに、何かを思いついたり、思い出したりすることがある。そんな瞬間が訪れることを信じるのだ。書きたいと思うからには、そう思うに至った理由と背景があるはずなのだ。これまでに経験して背負ってきた諸々の中から、書かれるに適した言葉が手を挙げて現れてくれるはずだ。

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