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ただ観るだけでよかった

仕事のあと、展覧会を観に行った。疲れもあり、ぼんやりと会場を観て回った。作品を観て、キャプションを読む。とても複雑なことがその作品ではなされているらしい、という程度のことしか、私にはわからない。だけど深くは考えないで、そういうもの、として観ていった。それにどんな意図があるのかなど考えずに、目の前に何かが現れては流れていく様子を眺めていた。

綺麗だな、と思った。

その作品が誰によって何のためにどこでどうやって作られたか、などを知ることも大事だ。作品が何を表現しているのか、伝えようとしているのか、などを考えることも大事だ。でもそういうことをする前に、作品を自分なりに受け止めることができれば、それでよいのだと思った。

何事かをわからなければいけないようなプレッシャーが、私にはかかっていたのだと思う。そしてそのプレッシャーは、何事かがわからない自分を卑下する材料になっていた。作品は、鑑賞者に卑屈な思いをさせたくて生まれてきているだろうか。そういう意図の作品もないとは言えない。しかし多くの作品は、何か大事な主張があって、それを表現することにまっすぐで、人を貶めることなど考えていないのではないかと思う。

難しい作品、近寄りがたい作品、理解できない作品、いろいろあるけれども、それらに委縮することはないのだ。ああ、なんか、綺麗だな。そんなふうに思いが浮かんでくればそれでいいし、何も心に浮かばなければ、浮かばないな、でいい。考える気力があれば「どうして何も心に浮かばないのだろう」を考えてみるといいとは思うけれど、その元気がないなら、自分の感じたところが正解でいい。

まず、ただ観よう。よく観よう。考えるのはそのあとでいい。


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