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(鑑賞記録)音遊びの会「そんなにジロジロ見ないでくれ in 金沢『いまどうしてる』」

音遊びの会「そんなにジロジロ見ないでくれ in 金沢」の1日目「いまどうしてる」を鑑賞してきました。場所は金沢アートグミです。

音遊びの会は、知的な障害がある人を含むアーティスト大集団です。本拠地である神戸での活動他、他都市や外国での公演も開催されています。主に即興による音楽を発表している彼らですが、今回の「そんなにジロジロ見ないでくれ 」にはダンスアーティストなかむらくるみさんが参加されます。なかむらさんによる身体表現への誘いに、彼らはどう応えていくのでしょうか。

ちなみに私が音遊びの会の表現に始めて触れたのは、野田亮さんによる映画『音の行方』の鑑賞時でした。そのときの記録は以下になります。

初めは、黄色い服を着た男性が、ライトに照らされた四角形の椅子の所に、小さな楽器をいくつも運んでいきます。たくさん集まり、彼がそれを奏でだすと、下手からなかむらさんが登場。音に合わせてゆったりと体を動かしはじめます。こう鳴れば、こう動く。ならばこう鳴れば、どう動く。それは言葉を掛け合うように、お互いを知ろうとするように、どこか探り合うような時間でした。

公演はいくつかのパートに分かれていました。順番が定かではなく申し訳ないのですが、女性となかむらさんのダンス、ギターとドラムによる演奏、全員が登場しての演奏など、それらはきっちりと決まっているようではないのに、誰かのちょっとした手招きなどの合図で、ふっと始まります。そしてふっと終わる時もあれば「終わります」と言って終わる時もありました。

全員の演奏で前半を終え、10分の休憩の後に後半が始まりました。まずは先にも触れた野田亮さんの映画『音の行方』のダイジェスト版がスクリーンに流れます。この映画の感想を演者に聞くなどしながら、ゆるゆると公演は進行します。なかむらさんが一人の男性について、もっとよく知るために質問をして、それを元にギターを弾いてくださいと頼みます。ギターの音色には、質問の回答で出てきた、仕事の大変さなどに対する彼の思いが乗せられていたのでしょう。

ホワイトボードが登場し、女性が進行役となって、ボードに絵を描く人、その後ろで演奏をする人、躍る人などを決めていきます。その指示に従い、絵を描いたり楽器を奏でたりする彼ら。いつもの活動のワークショップは、こんなふうに進むこともあるのだろうか、と思いました。

いつしか皆が何らかの楽器を手に、懸命に音を発しています。中央で躍る演者もいます。あらかじめ決められた音ではなく、楽譜などもなく、ただ、今、演者それぞれによって発すべきだと思われた音達が次々と飛び出してきます。そして動きもまた、それぞれの思うところに素直に表出されます。かつてとか、その後とかではなく、ただ今この瞬間だけがそこで、きらきらと輝いているようでした。躍っているなかむらさんが、客席から何人かを招きいれます。音遊びの会の演者達に負けじと体を動かす参加者達。この様子をまとまりがないとか、そう言ってしまうこともできるのでしょう。でも私には、このばらばらさがとても自然に感じられました。それぞれはそれぞれでいいのだと思えました。

本来、私たちはみんながもっと違う一人一人なのです。ですが、社会という場所で生活していくために、他者と行動や思考などを揃えざるを得なくなってしまいました。多数と同じように動ける人こそが、この社会でうまく動くことができます。そして、うまく生活していくことができます。誰かと揃えるために自分を矯正することは、悲しくも、生きていくために仕方のないことです。

だから時々は思いだしたほうがいいのかもしれません。何かに自分を無理やり合わせなくても、自分は自分のままで自分にできることをする、それでいいのだと。そんなことを考えました。しかし、そう難しく考える必要はないのだと、彼らの音と踊りは語っているような気もしました。


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