草臥れて 03 ひとり旅

草臥れて(kuta bire te)

03   ひとり旅

四国と九州   1994年   22歳



14歳で旅を始めたのだが、22歳になるまで僕はひとり旅をしていない。
10代は夏休みごとに友達と自転車キャンプの旅に駆けずり回った。友達と行くのが面白く、ひとりで行っても楽しくないと決めつけていた。
それがひょんなきっかけで、ひとり旅をすることになる。

1994年、大学4年になる前の春休み、友人のユーダ(U田)とふたりで四国と九州を旅することにした。
ユーダというのは大学(京都にある)のサークルにいた友人で、学年は僕より一つ若い。太宰治的な陰影のある面持ちをした、背が高くて面白い男である。
四国と九州を列車で回ってユースホステルに泊まる旅、を計画した。
僕は徳島以外は四国も九州も初めてだった。

列車で京都を出て瀬戸大橋を渡り、香川を抜け、徳島に入る。
大歩危、小歩危という渓流風景を眺める。
「おおぼけ、こぼけ」と読む。面白い地名だ。
祖谷(いや)の吊り橋に行こうとしたら、ユーダが「祖谷(いや)はイヤだ」と言う。
吊り橋は怖い、というのだ。
それで祖谷には行かなかった。

徳島の山の中でまず一泊する。
夕暮れ、ユースホステルがある小さな駅に着いた。
僕とユーダ、そしてもう2人、若い女性が降り立った。
彼女らもユースホステルに行くような気がする。
「ユースですか?」と聞いてみると、
「そうです」と言う。

このとき僕が話しかけた相手が京都の女子大生、ケーミ(K美)さんであった。
駅の上に歩道橋が架かっていて、その上で話した。
ケーミさんが「今日は何をしてたんですか?」と聞くので、
「大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)でたたずんで……」と僕は答えた。

山の中のお寺がやってるユースホステルだった。
当時はユースホステルが日本中にたくさんあり、お寺がユースホステルを営んでいることもあった。

僕らはそこで一泊し、翌朝くだんの女子大生ふたり組と「福寿草まつり」に行った。
福寿草という草花が斜面に咲いているのを見る祭りだ。
黄色い小さな花を眺め、味噌をつけたこんにゃくか何かを食べた。

僕らは高知へ向かい、彼女らは京都へ帰って行った。

高知に着くと、はりまや橋という小さな橋を見て、坂本龍馬像の横で写真を撮った。
高知で覚えてるのは、ユースホステルの二段ベッドだ。ちゃちなパイプ二段ベッドの並ぶ部屋が寝室で、相部屋となっている。
相部屋とは、知らない人たちと同じ部屋で眠るということ。それがユースホステルの常である(男女は別)。
が、この「相部屋システム」がじょじょに旅の連れ・ユーダの精神を疲弊させてゆく。
そのことに僕はまだ気づいていなかった。

高知のユースにも、女子大生ふたり組がいた。
この旅では僕とユーダの行く先々に女子大生ふたり組が現れた。
こんなにも女子大生ふたり組というのは旅をしているのか?
女子大生コンビたちを見ていて、その組み合わせに法則性があるような気がしてきた。
どんな人同士がコンビを組むのかが、似通ってるように思える。ユーダとその件を話し合う。

「女子大生コンビの法則」とか、そんなアホゥな話をしてるうちは良かった。でも高知、愛媛を経て船で大分に渡ったとき、ユーダの精神が変調をきたした。

「もう、相部屋は嫌だ」と言う。

ユーダは相部屋という、知らない人たちが何人もいる中で寝るシステムに耐えられなくなっていた。
たしかに、リラックスしたいはずの寝室に他人の気配や視線やイビキがあるわけで、相部屋というのは大変だ。ゆったりするのは難しい。
それでユーダは九州はまわらず、四国だけでもう帰ると言う。
そうして、僕は期せずして九州ひとり旅をすることになった。

「じゃあ」とユーダは去った。

僕はしぶしぶ、ひとり旅を始めた。


しぶしぶ始めた……のだが、始めてすぐ、僕はふたり旅とひとり旅の違いに気づいた。
ひとり旅では、僕がどこで何をしてるか、誰も知らない。
ということは、どこでどんなことでもできる、ということを意味する。
こんなことをしたら変だろうか?   何か言われるだろうか?   と気にする必要が一切ない。
べつにユーダに対して気を使って疲れていたわけではない。それはなんとも思っていなかった。
ただ、ひとりで旅する楽さを、そのとき初めて僕は知ったのだ。

旅の行程を順調に進めなくても良い。
予定・計画どおりじゃなくても良い。
一日中何もしなくても良い。
出発した途端に横の路地に入り込んで8時間座り込んでも良い。
毎回おなじものを食べても良い。
食べたくなかったら何も食べなくても良い。
変なゼリー状のお菓子をポケットにぱんぱんに詰めて嬉しがっても良い。
急にとんでもなく長い距離を歩き続けたっていい。
いま来た道を逆走しはじめて四国に戻って行っても構わない。
むっつり黙りこんで6時間奇妙な妄想にふけってもいい。
何なら、唐突に旅をやめてしまっても良い。

こういうことが、どれだけ楽か。
こんなふうにできることが、どれだけ良いか。
そこに、僕はハタと気づいた。
「これだ!」と膝を打った。
際限もなく好きなようにできる、それはこんなに楽で、良いものだったのか。

思えば僕はひとりっ子で、小さい頃からひとり遊びの達人だ。ひとり遊びに退屈したりはしない。
ひとり旅って、めちゃくちゃ僕向きじゃないか。
なーんだ、今やっと気づいたよ。


大分の臼杵(うすき)で、石仏を見た。
大日如来さんといって、首が落ちて足元にある巨大石仏なのだが、その、地に落ちた大日如来さんの顔の表情が非常に穏やかである。すこしほほえんでいて、胸打たれるくらい穏やかだ。

あんなふうにゆったりとやすらかに世界を眺めたい。

それまで仏像にはあまり興味がなかったが、臼杵石仏は気に入った。


宮崎北部の山奥の、高千穂に行った。
高千穂にはユースホステルがある。また、天岩戸神社や高千穂神社など、日本の神話にまつわる古い聖なる地がある。
山の中の高千穂は冷んやりして霧が湧き出る感じで、神秘的な雰囲気が漂っていた。

天岩戸神社というところに、むかし天照大御神が隠れたという岩戸がある。切り立った岩の壁だ。
それを僕は写真に撮った。
すると、直立したカバのような体型をした目つきの鋭い警備員に咎(とが)められた。
「ここは撮影禁止です。フイルムは没収します」
え……?
と、見る間に、僕の一眼レフからフイルムがするするっと抜き取られた。
んな、殺生な。36枚撮りフイルムの前半の、ほかの写真もダメになってしまったじゃないか。
カバ似のカバーニは、それが当然だと言わんばかりに平然としている。
カバーニ……。なに、この平然っぷり。
僕は「なんか、ここ、本物や」という気がした。
本気の聖地だ。


高千穂ユースホステルで風呂に入った。そのとき、すこし年上の人と会話した。
その人が「なんで旅してるの?」と聞いてきた。
「えーと、そうですね。いろんな景色を見たいからですかね〜」と僕は答えた。
すると彼は「なるほど。僕は、出会いです。人との出会いがあるから、僕は旅してるんです」と力強く言った。

その頃僕は、人との出会いを求めて旅する感じではなかった。
むしろ人の少ないところへ、いないところへ、へんぴなところへ行こうとしていた。
だからこの人の言うことにはピンとこなかった。
が、この会話はなぜか印象に残った。


高千穂の夜。神社で「夜神楽」というものが催されるというので、見に行ってみた。
仮面をつけた「神さま」を主人公とする物語りが演じられている。これがえらく面白い。
「神さま」が、とてもふざけている。楽しいことが大好きなのだ。
え?   日本の神さまって、こんなにふざけてるの?
神さまは、観衆のなかに若くて可愛い女の子を見つけると、「好き好きーっ」という感じですぐに抱きつく。
それで場内は「わーっ!」とわきかえる。みんな笑い転げ、大喜びだ。
で、神さまは奥さんにたしなめられる。のだが、またすぐふらふらと若く可愛い女の子に寄って行って抱きつく。
観光客の若い女性たちは抱きつかれてキャーキャーはしゃぎ、嬉しそうである。
え。神さま、好き放題やな?
神さまって、偉そうで真面目くさって、威張ってるんじゃないの?
あんなにふざけて、くだけて、陽気に好きなようにやるの?

「そうさ。自分の好きにやらなくて、生きてて何が面白いんだ?」
神さまはそう言ってるみたいだ。

こんなに好きにやるのが、日本の神さま、日本の代表なのか。
あまりにも楽しい、気軽な雰囲気に、心が動く。
僕は心を入れ替えた。
よし、好きにやろう。

さっそくつぎの日、僕は可愛い女性をボートに誘い、高千穂峡谷の水面でデートした。

好きにやれ、ふざけろ、笑え。笑わせろ。
神さまの陽気な声がこだまする。


九州をぐるっと回り、高千穂のほか、都井岬、指宿、開聞岳、阿蘇、柳川、長崎などが気に入った。

ひとり旅だとどんなふうにでも行動できて良いと言ったが、もうひとつ良いことがあった。

それは、人との出会いだ。「求めてない」と言ってたはずの……。

ひとり旅になったら、急に人との出会いが増えた。
ふたり旅だとふたりで話すから、ほかの人とはそれほど話さない。女子大生コンビ以外は。でも、ひとりでいれば話すことになる。
ユースホステルというのは似たような人たちがいるので話しやすい。
そうして、出会うことが増えた。
ひとり旅の人も多かった。男も、女も。

「ひとり旅同士」の出会い。
ひとり旅の人は、互いに同じようなものを抱えている。
旅が好きで、未知が好きなのが同じ。
そして寂しさや不安を少し抱えてるのも同じだ。
こういう人同士が出会うと、なにかがかすかに共鳴する。

友達ができた。

高千穂では「出会いを求めてない」はずだったのに、旅の終わりには「出会いっていいな」と思っていた。

列車でゴトゴトめぐる、地味な旅。僕はただ列車に乗ってる人に見えていただろう。
でもじつはひとり旅の良さに目覚め、出会いの素敵さに気づき、好きに生きよと神に言われ、激しい変化を呼び起こす途上にいた。


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