草臥れて 01 心の影

草臥れて   

01   心の影             

西表島   1993年   21歳


                      

             
視界の端で、黒い影が揺れている。
僕はそれが、とても悪く怖いものではないかと思った。


そのとき僕は日本の最南部である沖縄県八重山諸島のジャングルの島、西表島に初めて上陸し、友達と2人でテントを担いで歩き回っていた。

月ケ浜という場所に着いた。
広く美しい浜で、人工物のほとんどないようなところだ。
その夜、僕らは浜で野宿することにした。
テントは張らず、砂浜にレジャーシートを敷いてそのまま寝る。

暗くなり、2人は寝入ろうとしていた。
しばらくすると、何メートルか離れて寝転んでいた友人が闇の中で
「うわーっ!」
と叫んだ。

「ん?   どうしたん?」
「うわ、わ、わ、何これ」
「え?」
「何かが爪先に……カニやーっ!」

どうも、カニが大量に爪先にたかっているようだ。
気がつくと、僕の足先にも何匹かカニがいる。
カニたちは僕らの足の爪の垢を煎じて飲むのが好きなんだろうか。
爪の垢とかを美味しい美味しいと食べてるような気配を感じる。

さて、カニ騒動もひと段落し、眠ろうとする。
が、眠れない。
なんか、気になる。
あたりが気になるのだ。
夜の闇が。

普段キャンプではテントで遮断され、外界の様子はわからない。
わからないがゆえに、まわりに何があろうがスヤスヤ眠れる。

遮断されていない今夜は……なんか……気になる。
すべてが気になる。
ざわ……ざわ……と風にそよぐ木々。
しゃぱ……しゃぱ……という葉擦れの音。
ずぉーん……ずぉーん……と打ち寄せる波の音。
どぉぉぉぉ……という海鳴り。
もしゃ……もしゃ……という、カニが僕の爪の間を漁る音。
なにかわからない、生き物たちの気配。
とにかく森羅万象が押し寄せてくる。

そして、遠くの岩肌のところで、黒い影がゆらゆら揺れてるのが気になる。
あれは何だ。
何であんなに揺れるんだ。
意思を持っているのではないか。
僕に何をしようというのか。
僕をどこかに引きずりこむつもりか?

なにか大きな人影のような、魔物のようなものが揺れ、手招きしてるように見える。

僕はそれが気になって、なかなか眠れなかった。


翌朝、目を覚ます。
いつのまにか眠っていたらしい。
鳥の声が聞こえる。
僕は起き上がり、昨夜自分をおびやかした「影」のほうを見た。
白い岩の崖があるだけだった。
あたりは白々としている。
夜の闇が去り、日が昇った浜は、白々と明るい。
黒さ、暗さ、不気味さの影は、まったくない。
真っ白だ。

真っ白な中、僕が照らし出されている。

そのとき僕は、自分が心の中で作り出した影におびえる僕を見た。

そこに、外界に、不気味なものはない。
ただ自分で勝手に恐ろしげなイメージを作り出し、外界に投影し、それを怖がっている。

つまり僕は自分の「恐れ」を恐れている。
何もない場所で。

世界があまりにも白く、明るく、平穏だったために、コントラストで自分の心の影があぶり出されて見えた。

うーむ。
僕は自分が作り出したものにおびえていたんだな。

愕然とした。
自分で自分の中のものにおびえ、不眠になるとは、あまりにもバカバカしい。
自分の不甲斐なさに落胆する。


これはじつは僕が変わってゆく契機となる出来事だった。                                              
バカな自分を目撃したことで、自分の姿を外から眺める視点を持ちはじめる。
そして自分自身が作り出す恐怖と外界に在る危険を分けて見るようになっていく。          
でも、そんなことをその時の僕は知らない。

ただムカつき、自分に腹を立てながら次の地へ向かって歩いて行った。


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