「疑う」習慣を身につける大切さ
「疑ってみる」というのは、生きる上でも、仕事においても、とても大事なことである。
疑うという言葉はあまり良い意味として使われるケースは少ないが、決して悪いことではない。
なぜなら、私たちの人間性というのは、気づかぬ間に構築されてきているからだ。
こうやって、「正しい」だったり、「ステキ」だったり、「間違ってる」だったりの価値観が生まれる。
さらには、「立ち居振る舞い」や「人との付き合い方」なども、これまでの経験や環境によって知らず知らずに出来上がっている。
このような人間性というのは、あくまで「自分が経験してきた上での価値観」でしかないのだが「これが普通でしょ」とつい人は勘違いをしてしまう。自分にとっては「普通」だからこそ、「相手もきっと同じ感覚だろう」や「相手はきっとこうだろう」という思い込みでトラブルが起きてしまうのだ。
「私たちは、自分の経験してきた内側からでしか、外の世界を見ていない」
これに気がつくことができれば、新しい環境へ飛び込むことへの恐れや新たなチャレンジをする不安は少なくなる。自分の内側からしか外を見ていないと認識することで、外の世界に感じる「恐れ」や「不安」が「実は自分の勘違いなんじゃないか」と、客観的に疑問を持つことができるからだ。
私はライターという職業柄、「疑う」というのはくせになってしまっている。というのは、例えば取材したときに「この店おいしい!」と思っても、そのまま「おいしい!」とは決して書けないからだ。
このように「おいしい」の言葉ひとつだけでも、無数に疑問は生まれる。
「なぜ?」と思う気持ちを自分自身にきちんと感じることはすごく大切にしたほうがいい。答えを相手に求めるのではなく、自分自身の感覚をまずは丁寧に扱うことがとても大事である。
上記は飲食店例だけれども、人物に対しても、モノに対しても、社会現象に対しても、「なぜ私はそう思うの?そう感じるんだろう?」は同じである。これはどんな職業や仕事、場面にも応用できるだろう。
「なぜ?」を瞬時に感じることができれば、大抵の出来事に冷静な対応ができるようになる。「相手に問題があるんだ」と人のせいにしてしまうことはかなり減るし、「ではどうすればいいのだろうか?」という対話が生まれ、自ずと問題解決能力が身についてくるようになるのだ。
まずは「自分のなかでまったく疑問に持たなかったこと」や「当たり前」とされているものを、あえて疑ってみてほしい。その勇気ある一歩が「新しい扉を開く」と、私は思う。
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