スリランカの孤児院:1日1ドル未満の日々
さ・・や!
さや!
♪one two three four five six seven ♪
♪one two three four five six seven ♪
♪one two three ♪
♪one two three ♪
♪one two three four five six seven ♪
・・・さや!!
ーーー今でも、私の耳の奥そこで、子どもたちのone two three の歌声と、私の名前を呼ぶ声が、鳴り響いている。
満面の笑みで私を囲む10人ほどの子ども達は、まるで、私が来るのをずっと、ずっと、待っていたかのように、私を見るや否や歌を歌い始める。
きっと彼らにとって、私の存在は何よりもの楽しみであったに違いない。
だって・・・
彼の現実は・・・
薄暗い10畳ほどのコンクリートの壁の部屋で、毎日プラスチックの椅子に座り、日々が過ぎていくのを、ただぼーっと待っているだけだったのだから。
1日1ドル未満の日々
この世界には、1日1ドル未満の生活を余儀なくされている人々がいる。
それは、テレビだけの世界ではない。
1日1ドル未満
たった100円程度のお金
そんな生活は、世界のどこかでひっそりと佇んでいる、孤児院で暮らす子供たちの現実として存在している。
20歳そこらの私は、そんな孤児院をたまたま見つけてしまった。
そして、私は、そこに住む子どもたちのお世話をすることになったのだった。
水色の門の先に
トントン。
Hello!
ーーある日、私はスリランカのキャンディの町外れにある、水色の門の前に立っていた。
その門には、小さな白い看板に、黒字で「home for disabled」と書かれていた。
中は全く見えない。
この先に、何があるんだろう。
この門の先に広がる光景に私の好奇心が高まった。
ガチャ。
門を開けてくれたのは、水色のベールを被ったシスターだった。そして、不思議そうに私の顔を眺めていた。
そんなシスターを見ながら、私は唐突にも「ここでボランティアをさせてもらえないでしょうか?」と尋ねた。
そう、若さとはパワーがあるのだ。
当時の私は、好奇心だけで何の情報も存在していない孤児院を見つけ、その門を叩いたのだった。
牢屋のような障害者施設
初めて現れた私のような外国人にも、シスターは嫌な顔一つせず、私にこう尋ねた。
「大人と子ども、どちらと一緒に過ごしたい?」
私はすかさず、「子ども!」と答えた。
すると、シスターは、「ついておいで」と一言述べ、私の前を歩いていった。そして、私を子どものいる部屋に通してくれた。
部屋に行くまでの道には、障害を持っている大人がたくさんいた。
その道のりで、私は色々な人を見た。顔に傷を負い、輪郭が歪な人、手足のない人、精神病を患っている人。
そんな重度の障害を持っている人々が、一つ屋根の下、何もせずに椅子に座らせられて過ごしている様子に衝撃を受けた。
ここは、いったい、何の施設なんだろう。
そう思いながら、子どもたちの部屋に通された。
薄暗い部屋の中の子どもたち
子どもたちの部屋は、薄暗かった。
部屋は約10畳ほどの大きさだっただろうか。
そこには10人ほどの障害を持った子どもたちが、椅子に座らせられていた。
年齢は全くわからない。
おおよそ幼稚園児くらいから、高校生くらいまでの子どもがいた。
障害の程度は様々だが、ほとんどの子は、自力では歩けなかった。
そんな子どもたちは、トイレに行きたいことを言葉や動作で伝えることもできず、椅子の上で垂れ流していた。
それを、お手伝いをしているお姉さん方が、モップで拭き掃除をする。
そんな光景が日常茶飯事だった。
食事の時間
食事の時間になると、子どもたちは、円状のテーブルに集められた。
そのテーブルを囲みながら、配給される食事をみんなで食べる。
しかし、食べると言っても、自力で食べられるのは、数人。
お手伝いさんの介助がなければ、食べられない子どもたちがいっぱいいた。
食事の材料は、どこからか支援してもらったものなのだろうか。
野菜や豆をカレー粉でグツグツと煮たどろっとした食べ物だった。
それを子どもたちは、手で食べる。
私は、自力でご飯を食べられる子どものサポートをお願いされたのだったが、私にはその得体の知れない食事は、どうも美味しそうには見えなかった。
むしろ、子供が、それを鷲掴みしながら食べている様子を見て、汚いとも思ってしまった。
そんな私の心の声を知らずして、子どもは私に「ラサイ、ラサイ(美味しい、美味しい)」と笑顔で言ってきて、私を汚れた手で触ってきた。
私はここで繰り広げられる光景を目の当たりにし
心がズタボロになった。
もう一回マザーテレサの家に行くことにした
初めてのボランティアは、私の心が疲弊した。
一日1ドル未満の生活を送っている子どもたちの現状は、人間としての尊厳に関わることが十分に整っておらず、ひどい衝撃を受けたからだった。
でも、もしかしたら、あの子達はシェルターがあるだけ幸せなのかもしれない。毎日ご飯が食べられるだけでも幸せなのかしれない。
そんな風に考えると、いっそう心が締め付けられた。
正直、あの過酷な現場に、私はもう一度行きたいとは思えなかった。
しかし、自分でお願いして始めたボランティアを逃げ出すような行為はしたくなかった。
だから、私はまたあの孤児院にまた足を運ぶことにしたのだった。
— TO BE CONTINUED —
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