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旅からコーチングについて考えたこと

旅に出ていました。行先は軽井沢と、東京。なぜなら関西から行くのであれば東京を経由する必要があり、ちょうどいいやと2か所で立ち寄ることにしたのです。
そこで感じたことをつらつらと書いてみようと思います。

帰宅直後の感想は、「あ~疲れた!!」でした。
でもそれは心地の良いものでした。純粋に、体だけが疲れていて心は解放されている感じ。なぜだかやりきった、とそう思う感覚。

旅に出る前はタスクに追われていました。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、なぜならば〇〇を目指しているから・・・そんな感じ。
そんな日常も悪くはないけれど、ただ純粋にやりたいことをやる、そういうことを今回の旅ではできたような気がしたんです。その瞬間を、味わい尽くす。そしてその場で自由に次を決める。そういうようなことが。

ただ何もしない「無」になる時間は日常でも意識的に作ったりするので存在はするのですが、旅はこの「無」とそうでない時間のバランスがちょうどよい環境になりやすいな、と感じました。何せ旅先だからご飯をどこで食べるかとかは結局考えないとダメだし、知らない場所だからそれなりにやることは発生するので。無と思考がほどよく往来する感じ。

軽井沢という自然に囲まれた土地に行くことができたのも良かったです。森の中にネイチャーウォッチングに行ったり、浅間山をゆっくり眺めながら温泉につかったりして、あくまで自分もこの雄大な自然の一部なんだなと感じることができました。あれこれあくせくどうこうしよう、全て何とかしてやろう、コントロールしようなんていうのは傲慢な態度だ、と。私が何かしたってあの荘厳な浅間山は動くことは無いし、この美しい景色が一朝一夕でできあがったわけでもない。ただただ圧倒されるのみ。一部であるということは、還るところがあるんだ、というような感覚もあり。
だからといって全ての努力や夢見ること、踏ん張ることを放棄したいわけではないんですが。何だろう、もっと力を抜いていいよと言われた気がして。ひと時とも同じ景色はない浅間山や森の姿を見て、今という瞬間をもっと大切にしたい、そういう気持ちになりました。

都会で人工物に囲まれて過ごすと我もと何か自分自身の力で何とかしよう、と思いがちなような気がします。できる気がしてしまいます。
できる気がするというのは悪いことではないけれど、しなきゃいけない、と事態をコントロールすることが能力だと思い込むのがいけないのではないでしょうか。少しスピリチュアルめいたお話になってしまうのですが、自分には限界があるからこそ、そして同じように1つ1つ限界がある命が美しい景色を作り上げているからこそ限界があってもその一部であることに安心してその時その時を楽しんだり、慈しんだりすればよいのでは、と。そういう気持ちで何を選択していくのかが問われているのではないかな。

コーチングは未来志向と言われるため、ともすればいかにコントロールするかというようなところに焦点があたってしまうところも否めません。けれど、不完全さに感謝しながらその先の選択をどうするか、そしてどう在りたいか、を見つめる未来志向であることで、今を大切にしていけるコーチでありたい、と思います。


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