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『バリサク吹き・玲奈の場合 ~ジャズ研 恋物語 Another story 5』

 今日は、7月のとある日。
 昼過ぎに、学食に来た。菊田こと涼介との待ち合わせ場所だ。
 貧乏学生でごった返し騒がしいピークタイムを過ぎて、徐々に人の減っていく学食の窓際の席に彼は一人で座っていた。何も言わず歩み寄った。
 「涼介、お待たせ」と言って、隣に座る。涼介はテーブルの上に譜面を置いて、書き物をしているようだった。
 「大丈夫、ちょうど曲のネタが浮かんだから書いてたとこ」とのこと。
 「楽器が手元になくって良く譜面に起こせるね。才能?」と聞くと、「どちらかというと訓練の賜物だな~」とさも当然のようにぼんやりと言う。
 「いつからピアノやってたの?」と聞く。
 「小学校1年の頃だから、歴だけなら13年前とかそのへんだわ」とさらりと言う。そりゃピアノも作曲も上手いわけだ。

 「ん、お待たせ。とりあえず出来たから、行きますか?」涼介が言う。
 「はいよ」と答えて、共に学食を後にする。
 キャンパス内を歩きながら、聞いてみた。
 「ちなみに卒論の準備、大丈夫?」
 「ああ、大丈夫じゃないんだな、これが」とシレッとした顔で言うではないか。回し蹴りでもかましたい気分になったが、こらえた。
 「じゃあ、テーマは決まったの?」
 「大筋はね。そういう玲奈は?」
 「あたしは決まって、いま基礎研究やってる。ま、先人たちの論文を読みあさるところから始めてるけどね。夏のゼミ合宿で中間報告があるから、そこに向けて、って感じ」
 「んー、文学部もめんどくさそうだなぁ」と涼介。
 「まあお互いきちっと卒論出して、景気よく卒業しようぜ?」そんな問いに、笑って答えた「そうだな、全くだ」と。

 今日はふたりでスタジオで練習しようという話だった。涼介はピアノだから、そのままスタジオに向かう。部室のドアを開けると何人かが居て「あら、姐さん、おつかれさまです」と声を掛けてくる。
 「おつかれみんなー。スタジオ空いてる?」とあたしがC年のテナーの河田くんに聞く。
 「はい、ジャズオケが出張ってなければ、今なら空いてると思いますよ」とのこと。
 この大学のジャズオケはあたしがC年の時に所属していた。どうにもウマが合わずに部活を辞めようとしていた時に、藤川先輩に再会した。彼女はモダンジャズグループというコンボジャズ中心の部活にいた。先輩に再会し、モダンジャズグループに引き抜かれて、今のあたしがある。高校の吹奏楽の頃からそうだったが、本当に頼れる先輩だ。
 「おけー、じゃ行ってみるわ」とあたしは愛器のバリトンサックスを楽器棚からひょいと取り出した。この腕や掌に伝わる楽器の重さにも、慣れてしまった。

 スタジオで楽器を組み立てていると、一足先に涼介はまたピアノの前で譜面と向き合っている。気にせずいつもの練習に移る。ロングトーンにスケール、いつものメニューだ。そうこうしていると、声を掛けられた。
 「なあ、これ吹いてみてよ」とA4サイズの譜面を渡される。涼介の手書きだ。
 「さっき学食で書いてたやつ?」と聞くと、笑って頷いた。
 「学祭の企画バンドでやりたい曲。イメージとしてはバリサクのバラードなんよ」と涼介。
 「で、早速試してみたくなったのか」「うん、そういうこと」
 あたしは涼介の頭をぐいっとひと撫でして「かわいいとこあんのね」と受け取った譜面に目を通す。彼は時々かわいいのだ。
 
 「イントロは俺が適当に弾くけど、ここのアウフタクトのテーマの入りのタイミングは任せる。バリのリズムにバンド全体が寄り添っていく感じのサウンドにしたいのよ」
 「ほっほう」「んじゃ、早速、やってみようぜ?」
 涼介のイントロが始まる。いやいやしかし、適当でこれだけ弾けるってのがすごい。
 聞き惚れそうになりながら、あたしはテーマを吹き始めた。
 吹きはじめて何というか、すぐにわかった。ゆったりとしたバラード調のこの曲の主役は伴奏の涼介だ。あたしは初見の慣れない譜面を吹いているだけだけど、彼のせいであたしまで上手くなった気がしてくる。バリとピアノだけなのに、すっかり世界が出来上がる。
 彼の伴奏に乗っかって、穏やかでちょっとエロいテーマをあたしは一通り吹き終えた。あたしの得意な音域に合わせて作ってくれているのがわかって、ちょっと嬉しかった。
 「へえ、エロくていい曲じゃん」
 「だべ? ドラムはブラシで、ベースは優しい音でやってもらおうかと思ってる」
 「なるほどねぇ、さすがそこまで考えてるのね」とあたしは舌を巻いた。
 「ちょっとテンポ早めな曲と曲の間に入れたら、いいアクセントになると思って」
 「というか、あなたはバラードの才能あるって。絶対」あたしは笑った。
 「これさ、実を言うとむかし作った曲がベースなんよ。だけど、ピアノだけでやるのは何か違うなぁ、って思って暖めてたんだけど。バリがテーマならハマるよ」
 涼介の真意はわからないし、知る必要もないが、何となくあたしはうれしかった。その後、何度かあたしたちは同じ曲を演奏していた。

 すると、スタジオのドアが開いて、アルトの篠崎が現れた。相変わらずの長身だ。
 「おつかれー」と言い終わると楽器の準備を始める。
 「なぁ菊田、学祭の企画バンドのネタ仕込み?」と篠崎が微笑む。
 「おお、そんなとこ。玲奈にバラード吹いてもらおうと思ってさ」
 「そいつは名案。玲奈の腕なら何とか料理できると思うぜ。本番で上手くいったら、アルトでもいつか吹かせてくれよ」と篠崎。
 「検討しておくよ」と涼介が笑う。
 
 おおかた練習をしたあと、涼介が言う。
 「なら、これからちょっと時間ある?」
 「ん、大丈夫だけど。どうしたの?」
 「お好み焼き、食いたくない?」
 すぐに真意を察知して、笑った。「『めあり』でしょう?」と。めありは彼のバイト先だ。これがはじめての事ではないし、好きなお店でもあるからだ。
 「そ、『めあり』で小腹を満たしてから帰ろうかな?って」涼介が子供のように笑う。
 「賛成、もんじゃ食べたい」とあたしは笑った。
 「篠崎、スタジオ任せていい? 俺ら出ちゃうけど」
 「ん、いいぜ。行ってらっしゃい」と篠崎があたしたちを見て優しく笑う。きっと、藤川先輩こと桜子さんともうまくやっている証左だろう。


 大通りから一本入った途中に、その店はあった。和風な佇まいは、押し寄せる高層建築の波にちょこんと心ない防波堤のようでもあった。
 着くなり二階の畳敷きの広間の一角へと通される。
 「今日はデートっすか?」と案内してくれた店員さんが涼介に言う。バイト仲間だろう。「悪いかよ」と彼。
 「羨ましいだけです。決まったら教えてくださいね」と彼は立ち去った。
 彼の姿が見えなくなってから、「まったくもう、余計なこと言いやがって」とおどけて見せる。「いいんじゃない?」とあたし。
 
 「何にするか決めた?」
 「ミックスもんじゃ。涼介は?」
 「えぴ天なんかどうよ?」
 「いいね、賛成。エビ大好き」

 これが、彼とあたしの日常だ。うん、うまくいってると思う。
 付き合う前からわかっていたけど、彼は本当にいいやつだ。ワガママに見えてちゃんと気は遣ってるし、大人な意見も持っている。背はあたしより低いけど、そんなもんは関係ない。
 このまま幸せな時間が続けばいいのだけどな。なんて。

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