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餓 王 鋳金蟲篇 1-2

 これは興味深い。
 私は待つことにした。
 一応、錫杖棍しゃくじょうこんは手元に置くことにした。
 この杖は仕込みがある。動輪を捻じ回すと穂先にヒテ人の鍛えた、槍の穂先が現れる。鍛造たんぞうで鍛えられたそれは、戦さ場でどれほどの命を呑み込んだだろうか。
 雨が近いのか、風にゆるいものが混じっている。
 返り血を浴びたように、肌が湿っている。
 足音が実体を持って姿を表した。
 太い唇が朱を含んで笑みを浮かべている。敵意はなかった。
 腰に皮袋を下げている。銀髪の頭を掻いて、ふいに笑みを溢れされた。隆々とした筋骨がその肩掛けの聖衣の下にあった。分厚い胸板にはやはり銀色の産毛があった。
「いい月だ」
 独り言のように声をかけてきた。薄闇によく通る声だと思った。翠の瞳が私を窺うように見ていた。
「ああ、いい月だ。そっちは旅人かね」と返した。
「流れ者でね。故郷というものは、忘れたな。あんたこそ遍歴の旅かい」
「そうだな、拙僧は見ての通りのバラモンでな。修行のために天地の狭間を惑い歩いているのよ」
 肩をすくめて見せた。この赤土色の僧袈裟は、両肩から背中をすっぽりと覆っている。その下には私が、俗世間には戻れない証左が隠れている。だからこそこの僧服だった。
「そうかな。とても僧には見えないぜ」
「この袈裟は夜盗の仮装ではない。独りなのは、寂寥を悦んでいるからなのさ」
「なら、おれは邪魔者かな」
「構わんよ。そっちは火が必要なんだろう。野では分かち合うものだという掟をわきまえてはいるつもりだ」
「感謝する」と慇懃に応えながらも、ずけずけと岩を越えて乗り込んできた。
 筋骨の動きは肉食獣を思わせた。まだ若い。20を超えたばかりの齢に見えた。しかも戦勝傷が少ない。極端な憶病者か、戦上手のどちらかであり、骨ばった相貌は惰弱なものではあり得ない。
 この歳頃の私の身体は、戦傷が網の目のように走っていたものだ。しかし今はない。織り立ての生地のように、すっかりと綺麗なものだ。
 昨年の、左胸の矢傷を例外とすれば。
 実は私の身体は、脱皮の一回もすれば全て恢復する。
 この身体の生理を司るのは蛇のシャリーラだからだ。
 例え腕を落とされても再生してしまう。その脱皮は、数年おきの冬眠中に起こる。それは自分で制御はできない。身体の大半に損傷を負ったときか、氷雪に閉じ込められたときかで、不意に物理的に泰山ほどの重い眠りが襲ってくる。
 そしてこの身体を得たその日から、幾年を経ようと実齢を重ねたことはない。或いはこれは、死ぬことさえも許されない、生の煉獄を生きているのかも知れぬ。
 男は腰の皮袋から干し肉と玄米粉の団子を取り出した。そして手近な枝を拾い上げ、串としてそれを二本火にかけた。
 私は昼間の狩りで得た兎の丸焼きを等分に割いて、「野に生きるものの習いだったな」と男に渡した。
 等分にしては、干し肉と団子との交換は分が勝ちていたので、彼は嬉しそうな笑みを浮かべた。その瞬間だけは少年の面影があった。
「バラモンが殺生を、とか思っているのか」
「ちょっとね。いい匂いがしていたんでね。意外だった」
「下の村人からの寄進だよ」
 嘘だった。草原で兎を殴殺した。
 或いはその時に肩衣がはだけて、その下の蛇紋を見られたのかも知れない。なのでカマをかけた。その言葉にはぴくりとも反応しなかった。遠目に見ていたわけではなさそうだ。
「それにしてもいい剣をいているな。それは王族の所持するような紅玉だ」
「この紅玉は安物だよ。それにおれ自身も紛いものさ」
 火の通った串を渡してきた。
 ほう、と思った。
 嘘をついている。
 紛いものという言い草が、それを裏打ちしていて説得力がある。そして寡黙な彼の、その言葉が気になった。或いは雑種身分、その出自である可能性がその容貌には表れている。
 炎がぱちんとぜて、また風が渡っていくのを知った。


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