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人魚の涙 4

 息継ぎをして、水面を蹴った。
 今度はすぐ近くに彼女はいた。
 息継ぎそのものが奇妙そうだ。
 口を開いたが、泡も出てない。
 そして何かの音が響いてきた。
 言葉ではない。
 唄の旋律に思えた。
 今度は同じ目線で降りて、海中に垂直に立ちながら浮かんだ。
 彼女は同じ目線で同じように並んで、微かに微笑んだように見えた。
 私とは臍の高さが違うけど、そこまでは人肌をしていた。彼女はそっと手を伸ばしてきたので、恐る恐る私も両手を差し出した。その指を絡めとるように掴んできたが、振り払わないように自分を諌めた。猛犬に手首の匂いを嗅がせるような緊張感があった。
 確かに魚体を加えると自分の2倍近い体長がある。
 指を合わせてお互いに瞳を覗き込んでいると、《彼方は、あるの》という意識が伝わってきた。意味がわからないが、こちらの驚きだけは伝わったようだ。《喰べない》と慌てたように即座に意識が弾けた。
 食べられることはないようだ。
《我方も、喰べない?》
 彼女が訊ねてきたように思い、私は《友達》と返した。

 人魚と友達になった。
 それは学校では秘密にしていた。
 特に女子には知られたくはなかった。
 裸の人魚と泳いでいて、何を噂されるかを恐れた。
 幸いにもその岩場で泳ぐ、他の生徒はいなかった。今はその場所は遊泳禁止区になっている。当時から危険視されていた岩場だったのだろう。そもそもこの出会いも離岸流がきっかけだった。
 数日を空けずにひとりでそこに通った。
 その岩礁で泳いでいると彼女が現れる。
 空振りの日もあるが期待が打ち勝った。
「お前さあ、危ないことをすんなや」
 上から目線でぶっきら棒な物言いだが、上級生の言葉は重かった。
 島の子は事故防止のためにひとりで海に行かないという共有認識がある。それに反していたのは私の方だ。
「わいさ、今日からは白浜に行くで」と場所すら指定された。
 その砂浜では彼女に逢えない。
 いっそ夜に行くのはどうだろう。
 夜の海で巡り会えるのは、楽しいかもしれない。
 ようやく肩幅のあってきたランドセルを背負って自宅へ向かいながら、そう夢想していた。
 人魚の名前を考えないといけないな、とも思った。 
 指を合わせている時だけは、お互いの意思を感じた。
 まだ明確な言葉のやり取りではない。お互いの語彙の差が大きかった。
 それを埋めていくのも楽しいと感じていた。
 

 
 
 
 


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