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餓 王 化身篇 2-3

 私はその石牢を覚え、翌日にピトウルを訪れた。
 手には玄米粉サンヴィーヤの団子と、岩塩を少し皿に盛り、水壷をも手土産にしていた。聖職者には獣肉は禁物ではあるし、団子ですら尊厳を与えたものではないといけない。
 誇り高きアーリアの民は、原住民の信仰に対して改宗を求めない。なぜなら改宗さえ行わせなければ、下等な民が我らの天界に闖入することはない。それがたとえ煉獄や地獄であろうとも、彼らに一指たりとも触れさせてはならない。
「僧主よ」と語りかけ、私はその場に座った。
 ピトウルは眠るような瞑想から甦り、深遠なる瞳を開いた。
 私は皿の団子を勧め、水壷を差し出した。
 だが彼は一瞥をくれただけで、その杯を受けなかった。むしろ杯を勧めた私の右手の方が小刻みに震えていた。
「若者よ。折角の美食ではあるが、わしは断食行の半ばである。お礼だけ述べさせていただく」
「私はナラ・シム准尉である」
「では准尉。ありがたくお志だけ頂戴する」
 見せつけるように団子をつまみ、岩塩に少しつけて口に放り込んだ。そして音をたてて杯の水を飲み干した。いかに断食中とはいえ、たまらぬはずである。特に塩への渇望はあるはずだ。
 塩を口にすれば、水が欲しくなる。肉体がその停止しつつある機能を呼び起こすはずと考えたのだ。
「私は構わない。存分に食されるといい、准尉。その姿を拝見するだけで、私の心は落ち着く」
 ピトウルの目は私の視線を避けなかった。
 しかし毛ほどの動揺も見られない。
「僧主よ。あなたがいっさいの食を断ってもう七年になるという。兵のなかにはあなたを仙人と信ずる者さえいる」
 乾いた笑いをピトウルは漏らした。
 そうして「それは迷惑でしょうなあ」と微笑みながら言った。言葉の糸口をつかんだ気がした。
「全く迷惑なのだ。では杯をとられよ」
「必要ないのだ。准尉よ。私は既に必要ないのだ」

 翌日の訪問もまた同じ問答の繰り返しとなった。
 諦めはしなかった。若造が、と言いたげな従卒の、目のあざけりの色が強くなろうが、諦めはしなかった。
「准尉。その水に塩を入れたらどうなる」と、ピトウルが穏やかに言った。
 私は杯に岩塩を一つまみいれて、指でかき混ぜた。
「僧主よ。このように」
「岩塩はそこに認められるか」
「姿はなくなった」
「杯の端から舐めてみられよ」
 私は口をつけて舐めた。僅かな塩の味がした。
「塩はあるか」の問いには同意あるのみだ。
「では中央から舐めてみられよ」
 あの身の毛もよだつほど卑しい、犬のような屈辱的な姿を晒すことも厭わずに、私は舌を伸ばして、その杯の中央から水を掬い取った。
 さらに「塩はあるか」の問いには同意あるのみだ。
「准尉よ。かように二つの形質は混ざり合い、姿は隠れどもその形質は残る。私には食物が必要ないということは、そういうことよ」
 私は確信を持って、石牢をでた。従卒を呼び、ピトウルを石牢から引き出した。
「塩樽につけよ」
 ピトウルは塩樽に押し込まれ、肩まで岩塩に埋もれた。
 さらに命じて、私はそこに湯を注いだ。彼の相貌には鬼の笑顔があった。数日を経ずして、ピトウルは息絶えた。というよりも枯死したというのが真実であろう。
「塩湯につけるというのは、刑罰にあたりませんからなあ」と、いたく感じ入った従卒が言った。彼の顔からはもう敬意のみが放たれていた。
 からからに渇ききったピトウルの遺骸を前に、私は立っていた。
「シャリーラの呪よ」
「はっ」
「この男は自分のシャリーラと樹木のシャリーラを持っていた。二つの異なる形質の力を混ぜ合わせ、融合していたのだ。恐らくはランカにまつわる術であろう」
 ピトウルは天窓からの光で腹を満たし、時には降り注ぐ雨で渇きを潤していたのだ。半身が植物である彼のみが耐えうる七年間であったろう。
 しかし植物であるがゆえに、塩水には抵抗力がなかったのだ。

 

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