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長崎異聞 47 最終話

 橘醍醐は、警固を命じられた。
 長州兵が征圧した、門司港への渡橋である。
 大日本共和国兵部省大輔の大村益次郎とて、赦された供回りは二名に過ぎず、その一角を醍醐が受け持つ。
 右手にいるのは丸菱社員の兵である。
 事訳を聞くとかの兵らは、江戸小川町の講武所で砲学を学んでいた。醍醐からすれば兄弟子筋にあたる。にもかかわらず搦め手において、益次郎は彼に将を任せた。その命に充足するだけの働きであったか、と彼は自問自答し続けている。
 かの跳ね上げ橋は普段の在り様であったが、橋向いは戦煙に燻り、所々には焼け落ちた建物が点在しているようだ。
 不揃いの兵装をした長州兵が並んでいる。
 火薬銃は持たず、軍刀だけを佩いている。
 獣の眼、という鋭さで睥睨へいげいしているのは、主に大村益次郎の顔である。
「儂は恨まれているでな」と飄々とした声で、醍醐に小声で囁いた。
「ここで斬られても本望だが、万一の際は、儂をただ一刀にて斬り棄てなされ」
 ぞくりと血流に熱いものが通った。

 敵将は小柄な男であった。
 戦国ながらの帷幕が引かれ、床几の上に座していた。
 その正面には同型の床几がひとつだけ置いてある。
 勧められた訳でもなく、益次郎はその席につき、警固の両名は左右に立った。佩刀はそのまま赦されていた。
「此度の御戦の勝利、祝着にござる」
「貴公の軍略を給わったが、上首尾であり感服致し申した。ですがかの書簡は物議ものでありました。あれに桂小五郎殿の花押の裏書き無しには容易に家中を纏めること能わず。いや失敬、私は山田顕義やまだあきよしであります」
「ははぁ、さては長沼流兵学者である山田亦介様のご縁者で」
「叔父であります。また吉田松陰門下でもござる」
「然り。して彼のご薨去こうきょは伝わっております。安らかな最期でござったか」
 初めて山田顕義が笑みを含んだ。が、慧と光る眼は硬質なものだ。下顎を覆う胡麻塩の髭に、歴戦の将の風格がある。
「おもしろき 事もなき世を おもしろく、が辞世の句でござる」
「高杉晋作殿、惜しい方を喪いもうした」
「敵陣にありてなお、貴公が調合した丸薬を服用してござった。家中は毒を疑っておったが」
 長州の要人らしい。
 そうであった。大村益次郎こと村田蔵六は、大坂適塾の師範代を務めたほどの医者でもあった。彼は幕軍で長州をその軍略で攻め上げていても、患者の容体には真摯であったのだろう。
 蜘蛛の糸の如き縁を繋いでいた。それでこの局面で連携作戦が取れた。然るにそれは諸刃の刃でもある。益次郎の命を狙うのは、寧ろ慶喜政庁内部にあるのかもしれぬ。
 警固として、醍醐は心中に留め置くことにした。
「時に清国で、次の大将軍を拝領するのは誰だか、目星はあり申すか」
「まあ、李鴻章リホンチャンであろうよ。今は北洋大臣で海軍を束ねておる。そうさな、一昨年の長崎騒乱。定遠と鎮遠を居並べて狼藉をしたあの折、主将として定遠に座して長崎に来たよ。まあ物見の一環であろうな」
 話題は次の戦さ場に移っていた。
 この租借地奪還は布石に過ぎないという事だ。
「そして奴は、長崎に弱みを棄ててきおったわ」
 と彼は被りを振り醍醐の顔を見やった。
「この警固の若侍な、彼の許嫁がそうよ」
 じわりと脚を踏み込んだ。何を言う、と喉まで声が出かかった。許嫁をとった覚えはない。
「さらに儂の養女でもある。李桃杏リモアンという、長崎館内の娼館に棄てられた娘だ。その李鴻章の妾の子だよ」
 ぐっと粘るものが口腔に湧いてくる。
 あの姐御肌の微笑みが心中に蘇った。
 この御仁、その掌中で戦を転がすか。
 けだし橘醍醐は士分である。
 将としては豎子じゅし、己が未熟をただ恥じるのみである。
 
 
 
 

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