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餓 王 化身篇 3-4

 くらい斜面を歩いていた。
 深く、深く地底を這うような隧道ずいどうだ。
 遠くにパーリ語の叫びが響いている。
 私を探索している声か、バドリの無事を哀願する声か。その言葉が耳障りなだけで、私は意味を解さない。
 逍遥しょうようと首を垂れたバドリに、首縄を自ら繋がせそれを右手で持っていた。片腕となったため、右手には重責がかかっていた。
 捕縛した獲物を操る傍ら、己の傷を労わる掌だ。
 左手の傷口を撫でるが、乾いた肉があるだけだ。
 先刻の死闘の際、左手は素っ気なく外れ落ちた。
 治癒しかけた傷から、固まった血液が剥がれ落ちた程度だった。そう蜥蜴とかげが自らの尾を切除して逃げ出していくように、自切していった左手は私の窮地を救ったのだ。
 爬虫類としての特性が我が身に宿っていた。

 
 貿易船を何隻も建造できるほどの空間だった。
 帆檣ほばしらを立ててもその天蓋に達することはない。
 ガルダ級の神力が最も蓄積した場所だという。
 玄武岩層であるのに豚脂を小刀で削ったかのように、平滑な壁面をしている。中央の回廊が燐光を発して、その光景が仄かに照らし上げられていた。
 理屈は分からぬ。ただ在るものは認める。
 龍でさえ蜷局とぐろを巻いて安堵できる空間だろう。
 そこに幾つもの貯水壺のようなものが居並んでいた。
 その貯水壺には金属の硝子窓がある。
 青黒い液体がその中を循環している。
 さらには浮遊物、がそのなかにある。
 その祖霊を汚すほどの、およそ遊興で犬を飼うほどの、下賤という言葉にも達せない唾棄すべき光景を、私は見ていた。
 惰弱な戦士は知らぬ。
 勇敢には尊厳がある。
 亡骸を損壊するというのは、忌むべきことであり、摂理ダルマに仇なす行為だ。
 それは腕であり、足であり、頭部である。
 それぞれの貯水壺に一体分の、かつてはひと、だったものが螺旋を描く渦に乗って回転している。見覚えのある浮遊物がある。それは私の兵の、侮蔑にさいなまれた末期の姿である。
 憎悪、嫌忌、憤怒、悲嘆、哀惜・・・様々な激情が濾過されると、純粋な心理になる。
「遺体を切り刻んでおとしめるばかりか、ここまで凌辱しようとは・・・」
「いえ、違います。彼らは生きています」

「こちらを・・・」
 バドリは怯懦きょうだに足を震わせながら歩を進めた。
 その貯水壺の硝子窓の内部で流れているのは、漆黒の肌をした浮遊物だった。その闇が凝集したような、滑りのある肌は我が副官のハヌマンのそれに相違ない。私の双眸は、その瞬間に縫い留められたようであった。
 流れゆく彼の頭蓋には眼球が残っており、私を認めたか、じわりと視線が動いていたのだ。
「御覧の通り、彼らはこの姿で生きているのです。これはランカの秘術、繭坩堝まゆるつぼでございます。この繭のなかには細胞液と同種の液体が封入されております。シャリーラを永劫の時間に遺すためにございます」
「・・武人にとって、それは永遠に終わらぬ煉獄れんごくに等しい。過分にも程があろう」
 つまり。
 ここにハヌマンの真の遺体はある。
 己の手で脳髄をえぐったハヌマンの化身アーヴァタールは、このシャリーラから複製されたものであろう。だとすれば詰問すべきことがある。
「では訊くが・・・我が肉体、このナラ・シムの身体も同様であるのか」
 複製を元としたシャリーラの融合で、私は禍々しい毒蛇になろうとしているのか。
 

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