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長崎異聞 43

 橘醍醐は武士もののふである。
 今様の言葉でいえば、士分である。
 彼も芝居小屋の演じ物の如くに、戦さ場でおいて恩賞を上げ家名を上げることを、武士の本懐と信じていた。
 然るに幼少期に覗き見ていた長州征伐において、腰が引けていたのは寧ろ旗本八万騎であり、主力として戦ったのは土農あがりの武士たちであった。
 彼は勿論、病弱の兄ですら通った試衛館という道場がある。
 塾頭であった近藤勇は勇戦し、その果報をもって男爵の位を給わっている。さらに兄を厳しく指導した土方歳三卿も、今や華族となりて五稜郭を預かる総督となっている。
 彼らは最期の英傑として奮戦した。
 それは今でも巷に語り継がれ、胸を熱くさせる。
 しかし醍醐には忸怩たる思いがある。
 おれ自身は、その場に居合わすには幼過ぎた。兄ですら元服前で、月代もまだ剃ってはおらぬ年端の頃である。
 長じては兄の万一に備えての部屋住み暮らし、兄が家督を継ぐとこの長崎奉行所にても同様である。然るに彼は、無聊を囲う生活に飽き、奇しき縁を繋いでここまで流されてきた。
 その果てに未曾有の場に巡り逢えた。
「戦さはな、起さぬ方が一番良いものよ。だがな、戦るとなれば、勝たねばならぬ。卑怯者と謗られようと、懦夫と卑下されようと、勝ち戦への一手を打たねばならぬ」
 大村益次郎は淡々と語った。
 彼が執拗に村田蔵六という旧名に固執していたのは、その本分を看破されないためであった。それらの布石が紅蓮の轟火となって対岸の港を、その焔で舐めている。

 炸裂したのは12ポンドナポレオン砲であった。
 四散して炸裂した青銅砲に混じって、黒々とした硝煙の中に千切れた人間の四肢が舞っているのを見た。大村益次郎の言の通りである。
 醍醐は執務室を飛び出して、居留地の埠頭に向かう。
 埠頭には土嚢を積み、仮設の掩蔽壕が置かれている。
 その内部には高雄丸のアームストロング艦載砲が鎮座している。
 ではガトリング砲の配備はここではない。

 東マルセイユのナポレオン砲はな、数射にて炸裂するよ、と彼は言った。
「それは何故です」
腔発事故こうはつじこを起こす。そういう炸薬を使う段取りになっとる」
「何故それが判るのです」
「高尾丸で我らが運んだ炸薬な。あれがグラバー卿が長州征伐の折に仕入れた骨董品でな。無論、劣化変質しておる。乳飲み児を抱いた母御よりも気難しい代物でな」
「そんな古いものを」
「ああ、グラバー商会は倒産してな、丸菱倉庫を間借りして死蔵しておったわ。それをお慶が買い付けた。しかも宿敵である、オルト商会樽に詰めて運んできたのよ。この戦さで生き残りが証言するのは、奴の焼き印の入った樽のことよ。まあ訴訟如きで済む話ではあるまい」
 お慶は、英商人W・J・オルトの陥穽に因って破産させられた。これからオルトは謂れなきその代償を償うであろう。
「プロイセンに敗れて、今やここまで弾薬を融通できるほど、仏蘭西には余裕がない。吝嗇な連中があれを接収強奪するまでは読んだ」
 それよりもな、と益次郎は微笑みを唇に浮かべる。
 暴発させずにここまで、よくぞ宥めて運んできたものよ、と嗤った。

 

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