餓 王 鋳金蟲篇 2-3
相貌に見覚えがある。
脳裏の記憶と相結ぶものがある、その少女にだ。
カリシュマと呼ばれた、背後の柱の影で傅いていた少女だ。
そうだ。
借家の僧房に案内に来たときには、煌びやかな衣装と家紋を染め上げたスカーフで髪を纏めていた。身分を示す珠輪さえも両手首に付けていた。
一見して身分の高い層に見えた。
それと、かの峠にて粗末な衣に包まれて、籠のなかにいた彼女とは隔たりがあり過ぎた。
ほほほ、と玉が零れるような笑い声が降ってきた。
「そうです、驚かれましたか。貴僧が助けてイ・ソフタに預けた者です。このカプーアに呼びまして、この王宮で働いておりました。土地の事情には詳しき者で、重宝かと思います」
カリシュマはそのチュニックの端を摘まみ、頭を垂れて聖職者に対する最大限の礼を尽くした。
旅支度も簡易なものだ。
元来が遍歴の旅が日常であり、流浪を繰り返すことが、己の出自と化身の身を隠す最適解でもある。
カリシュマにしても革袋ひとつに荷物を纏めて、簡素な旅装を整えた。さらに彼女は食物浄化のヴェーダに詳しく、調理も達者であった。
「僧主様、支度は全て整いました」
「聡いな、そちは。今夜はいかがする。王宮に戻って女王さまにご挨拶をするといいと拙僧は考えるが」
「いえ。出立は明日でございます。ご挨拶は既に申し上げました。僧主さまがご迷惑でなければ、ここに宿を間借りさせて頂きます」
そう言ってはにかんで目を伏せた。普段はくるくると愛嬌よく動く目ではあったが。
そこへ僧房を訪う声がする。
旅支度をしたルウ・バが駆け込むように姿を見せた。
「水臭いな、僧主。おれを置いておくとはどういう了見だ」
「いや、何、些末な用事でな。女王の勅命で、例の生ける屍体の討伐を願われた。数日は掛かるまい」
それに、あの屍体の呪はこの男が対象かもしれぬ。同行させた方が厄災であろうと考えた。
集団でなくば、数人の屍体を屠ることなど造作もない。その証拠としてあのメダリオンを持ち帰るという所存であった。
彼は袋からカバブーを取り出して、カリシュマに渡した。香辛料で味付けされた肉を薄包で巻いたものだ。
「まだ温かい。清浄なものだ」
子羊の肉らしい。唾液を誘う香りがする。
思いがけぬ馳走に彼女が嬉しそうに微笑んだ。
「豪勢だな、どこで掠めた」
「ふふん、人気があるんだよ、こうしていてもな」
どこか耳目を集める男である。
粗削りな容姿に剛毅な人品である。
白い肌が、この日輪に近い高地にあっても保たれている。さらに後頭部で結った銀髪が輝くのだ。胸を焦がす娘も多かろう。
「・・まだあれを持っているのか」
彼は懐より見覚えのある革袋を取り出した。
金属同士が擦れあう耳障りな音がする。あの中には奇矯な金属のメダリオンが詰まっている。メダリオンの内部には複雑な機構があり、蟹のような節足が零れたものさえあった。恐らくはランカに関するものだろう。
「これに関係するのだろうな」
「無論だ。ひとを襲い、血肉に齧り付き、喰らうのだという。その討伐だ」
「おれは役に立つぜ」
「遠慮なく、人身御供にさせて頂く」というと彼はふふんと鼻で笑う。
そこへカリシュマが土鍋を抱えて現れた。
「さあ、僧主さま。浄化をお願いします」
彼女はあのカバブーの肉でスープを作ったらしい。子供に在りがちな無分別な行為が彼女にはない。
出立は早朝であった。
乾燥した空気のなかで猛禽が空を舞っていた。
その猛禽が最も畏れる男に糧秣を託している。
筋骨隆々としたルウ・バの背に、それがある。
彼を襲えば逆に捕まり、炙り肉になるだろう。
高地には食物はなく、野鳥を獲るぐらいしか、新鮮な食材は得られない。山草があったにせよ、街に比して餓えることには大差はない。
カリシュマには負担は掛けたくない。
我々のような野に棲む餓狼ではない。
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