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餓 王 鋳金蟲篇 2-1

 闇夜の地平線には、プシュヤ星宿が浮かんでいた。
 イ・ソフタでの逗留は数日に抑えた。
 厳冬期に同地にとどまり続けるのは、蛇の体質を持つ私にとって、冬眠を誘発するので厄介だった。ちゃんと寝蓙ねござのある宿においても、身体を冷やさぬように炉火を絶やさずにいた。
 アグラハヤナ11月を迎えようとする頃、私達はタキシュラ国に到達した。
 そこは初めてアーリア人が入植を始めたアーリアヴェルタと呼ばれる場所で、先住していた蛮民ムレッチャは追い払われていた。
 自らの父祖が開拓してきた土地ではあるが、これまで縁がなく何もかもが目新しいものだった。
 南部ではドラヴィダ人の方が多く、私のように由緒正しきアーリア人の容姿で僧の身なりだといぶかしがられたものだが、この地では目立たない。
 カプーアという国都に足を踏み入れた。
 そこは西方のペルセオン人が多く居住しており、初訪というのに故郷のような安堵感をもたらす空気があった。その気風が合い、炎が蛾を魅入らせるように、私は都市に居続けた。
 生業なりわいはある。
 遍歴の旅僧は、ヴェーダの詠唱を頼まれることが多い。バラモンであるならば、特に市場周辺を歩くといい。
 祖霊への供犠は、神々への供犠をも優る。
 そしてその供物が清浄であることが最も大事なことだ。
 概ねの野菜や果実を祀るのは結構だが、それを鳥がついばんだり羽風を受けたものは不浄なものだ。また魚類は避けた方が良い。肉類であれば、出産直後の牛の乳や肉は不浄である。
 そしてあらゆる供物においても、犬がその臭いを嗅いだものが最も不浄だ。市場で求めたものが、不浄かどうかは判別し難い。このためにすべからく供儀の前にはそれらは聖職者バラモンの詠唱をもって、清浄なものにするべきだった。
 しかしながら。
 寺院僧への寄進の負担は、実は莫迦にならない。それで庶民は遍歴で回遊してくる、立場の弱い僧を求めるのだ。しかも旅僧ならば、寄進の額を値切ることさえ出来る。
 

 春を迎えた頃だ。
 未だに私はカプーアに留まり続けていた。
 不思議とルウ・バは付かず離れずの距離にいた。どこで稼ぎを得ているのか、私への寄進に食事を運ぶ。照れ隠しの笑みさえ見せる。
 猛禽が雛を慈しむような、そんな行為に思えた。
 そんな折に、使いが私の面前に現れた。
 蒼い瞳ときめ細やかな肌をした少女が、私の間借りしている僧坊の戸口に立ち、深々と礼を尽くしていた。
 羊毛織のペルセオン調チュニックの上衣に、きらびやかな刺繍が施されていた。
 さらに両手首にも珠輪で飾り、後頭部で髪は編み込まれてそこには家紋の入ったスカーフで束ねられている。それらの宝飾と紋は、この使いの主家を表すだけではなく、護符のようなものだ。この身なりでは、無下に扱うわけにはいかない格式の圧力があった。
 使いでこの衣装では、およそ高貴な家からの招待だとわかる。路銀を稼ぐために長逗留になったが、この仕事次第では充分な額に達しそうであった。
 少女は私を先導してゆく。
 その歩みの先で幾人もの群衆が膝を折り、祈りを捧げるように地に這った。それでこの使いの主人が、王族に比肩するものと知った。王都を二分する主街路に、見渡す限りの背が居並ぶ。その固まった波の向こうに、王宮があった。
 衛兵の最敬礼のもとに王宮に入る。
 日干し煉瓦が積み上げられた回廊を回る。
 謁見の間は石造りであり、冷んやりとした白亜の堂になっていた。天蓋は円弧を描き、金と象牙で彫金された飾り柱が並んでいる。
 その最深部に玉座はあった。
 私はゆったりとその列柱を歩いていた。
 足元には絨毯が敷かれている。
 先導していた少女は一礼して、柱の影に下がっていった。
 絨毯が途切れた先に大理石の石段が数段あり、その奥に赤革で誂えてある寝座ソファに、ゆったりと座る貴婦人がいた。

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