長崎異聞 24 l 暗々裏 #青ブラ文学部
橘醍醐は武士である。
政治には興味がない。
然しながらその政治が彼を翻弄している。
それは人の縁が齎すものだ。
東京での三男坊の部屋住みが、とうとう穀潰しを嫌われて長崎奉行に宛行した。その地でも彼の無聊を慰めることはない。些事に追われてさえいれば暇つぶしもできたろう。
その暇つぶしに東山手の丸菱を訪おうとして、瑞西からの白皙の美女と知己になってしまった。
それから驚天動地の日々を送り、今や兵部省大臣大村益次郎、旧名村田蔵六と稀代の女傑、大浦お慶と密談をしている場にいる。
お慶が案内した部屋は畳敷きではあるが、円卓があり、そこの椅子にお慶、蔵六、ユーリアがついた。醍醐は腰の同田貫を置き、一歩を引いて正座でそれを見守っている。元より彼は椅子が苦手である。
醍醐は、ゆで卵の白身のように艶やかな喉を仰ぎ見る。
ユーリアは隣に椅子を出して貰って着座している。正座している醍醐の目線からは喉元から下の、その煽情的な線が露わになっている。
「噂に違わぬことではあるが、近々、大日本共和国が発布され貴族院が開かれる。徳川慶喜公は正式に臨時職より、正式に大統領職を拝命する手筈になっておる。いわば大日本共和国の国家の頂点に立たれる。仏蘭西の後ろ盾を持っての」
「まあ大慶なこと。村田様も飾る錦に事欠かないことですなぁ」
「そうも言ってられぬ。仏蘭西の光背につくとか危うし、危うし」
「危ないんでございますの」
「白を切る出ない、お慶。この珈琲を何処より入手した。亜米利加であろう」
お慶はその言葉を口に手を寄せてほほほと微笑し受け流したが、目は笑ってはおらぬ、と醍醐は思った。
「暗々裏に進めておることがの」と蔵六は切り出した。
「貴族院発足と憲法施行の折をもって、慶喜政庁が法律の推戴する政府に生まれ変わる。その際に仏蘭西を絶って英吉利を迎え入れようと考える」
「まあ、よほど仏蘭西がお嫌いで」
「というか今のナポレオン三世な、今や欧州での威光はない。プロイセンに敗北を喫して以来な。何にせよ、陸軍国家である。この大日本が窮地に陥ろうとて艦隊を出せぬ。つまり役にも立たぬ後ろ盾よ」
「それで英吉利をと」
「今は薩摩・・鹿児島と密命を組んで居る由。それで西郷南洲が薩摩で隠遁しておる。中央政庁での政争を高みにみておるがな」
西郷隆盛は職を辞して、薩摩の郷里に戻り悠々自適の生活を送っていると聞く。長州を征伐後に国内に戦乱が湧きたった。それを収めた人物が、眼前に座っている村田蔵六である。
彼が全ての作戦を立案し画策した。
それを形にしたのが、西郷である。
「あの男は再び立たねばならぬ」と蔵六は最後に言った。
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