見出し画像

【エッセイ】アリピプラゾール

毎日正しくやってくる強い眠気の波に、上手く乗ることができるようになった。波のかたちを探り当てるのに一週間もかかってしまった。
最初の日はあまりの強い眠気に恐怖を覚えた。二日目は我慢できず就寝時間の二時間前に十五分の仮眠を取り、何とか生活リズムを崩さずにやり過ごした。

アリピプラゾールが私にもたらす「穏やかな生活」では、車の運転も飲酒も禁じられている。友人と話していても、上がるはずの気分が中途半端なところで宙吊りになって、感情の行き場がなくなっていくように感じる。おまけに心が感じる楽しさに表情がまるで追いつかないという追い討ちだ。しかしそれでもなお、これは確かに私にとっては「穏やかな生活」なのである。 

「ソウウツニガタの傾向が強く見られますね」

医者の言葉に私は、知ってたわ〜 と返していた。もちろん脳内で。だってかれこれ6年前から私は壊れている。特に最近はどういう風に壊れているのかというと、

・気分が著しく良くなり自分がモチベーションの塊のようになる躁(ソウ)状態

・無気力と憂鬱に飲まれて脳内が希死念慮との戦いに占領される鬱(ウツ)状態

を、数ヶ月単位で繰り返している。躁の時はまだマシだった。勉強も仕事も読書も時には手が止まらないほど楽しく感じられたからだ。生活面でも自炊回数が多く部屋も洗濯物も清潔を保つのは容易なことだった。しかし、鬱状態になってしまうとベッドから起き上がれずに出勤時間を迎えてしまったり、ゴミ袋にはゴミが、洗濯カゴには洗濯物が鬱状態の日数分だけ溜まってしまったりする。こうしてせっかく築いた職場での立場や整頓されていた部屋のもの、私を取り巻く環境の全てが一瞬で台無しになってしまうのだった。

不必要なものが新しいものに変わる「新陳代謝」が身体にはあるというのに、思考や心は必ずと言っていい程マイナスな出来事も吸収した上で形成されてしまう。なんなの、理不尽じゃない? 身体がそれを自然にやってくれないのならば、自分で物事の受け取り方や人への言葉の伝え方を変えていく必要があるのだろう。最近になってそれにようやく気づいた私は、どうやらメンタルにおける自己新陳代謝(変な言葉だ)なるものがあるとするなら、それがめちゃくちゃ下手らしい。 

だから、とりあえずはアリピプラゾールなのだ。服用を始めて早一週間。水分摂取量が増えてしまって、恋人には顔が浮腫んで見えると言われてしまった。正直な人で助かった、若い女には死活問題である。
身体に力が入りにくく眠気を催すので長時間の外出にはまだ不安がある。だけどまあ、鬱状態で部屋から動けずにいるよりはずっといい。

2020年、今年こそは治せるだろうか。というか、必ず治したいところではある。ひとまずはアリピプラゾールと体を上手く合わせていくところからかもしれない。眠気の波を待つまでの時間を、noteで過ごしたいなと思う。


この記事が参加している募集

自己紹介

サポートいただけると励みになります。よろしくお願いいたします。