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小説|蝉の抜け殻は地球を一周する

その夏は、いつもと何かが違っていた。
夏なのに、うるさくなかった。
あのうんざりするやかましい音が
聴こえてこない夏だった。

全国の少年・少女たちは
森という森をかたっぱしから探して回った。
全国の研究者たちは
文献という文献をかたっぱしから探して回った。
けれど、その謎は解けることはなかった。
翌年も、そのまた翌年も、
再び夏にあの音が戻ってくることはなかった。

こんな夏が来るなんて、誰も信じられなかった。
だから、そのやかましい音をさせるあいつの
脱ぎ捨てた服にも目をくれることなかった。
ただひとりを除いては。

彼は、夏のあの音がまだ当たり前にあった頃、
あいつの脱いだ服を小箱に大切に閉まっていた。
世界で彼ひとりだけが、たった1つだけ、
あいつの脱いだ服を小箱に大切に閉まっていた。

世界中の少年・少女たちが彼を尊敬した。

世界中の研究者たちが彼をうらやんだ。

世界中の権力者たちが彼に交渉を持ち掛けた。

そして、
小箱のなかのそれをめぐって戦争が起きた。

彼は小箱に願いを込めて、
小さなロケットに積んで打ち上げた。

その直後に、爆弾が彼に襲いかかった。

やがて、世界はほろびた。

『世界中のだれもが見られるように』
という彼の願いとともに
透明の小箱に入れられたそれは
燃料の切れたロケットのなかで
はるか上空の衛星軌道上を
今も旅している。


No.003

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