「常識」=「自分がいる世界で経験したこと」っていうワナ。 ~作家売買~

以前、どっかの何かで「私は私立幼稚舎からエスカレーターで小学校、中学校、高校、大学。学閥のある良い職場へ就職という恵まれた環境で育ってきた。」という人が書いた記事を読んだ。


その方は『「高卒で社会に出る人」もいると知識として知っていた。そして、社会に出て、実際に高卒の人がいて驚いた。私の常識では最低でも大学へ行くのは当たり前だったからだ。』というようなことを書いていた。

そして、「違う価値観の人と働き~~~学歴への感覚が変わった。」ということを書いていて、決して学歴差別したい人ではありません。ご自身の気づきのお話だったと思います。


それでも最初、この一節を読んだ時は、持っている人は、持たざる者の気持ちを理解できない典型の話だな~って感じました。


そして、自分がいた世界での経験だけが、自分で発言する時の「常識」と認識するんだな~って痛感しました。



さて、高卒の私のいた世界で経験した「常識」の話へ。

公立小学校、中学校、高校。大学進学費用が作れず、奨学金という借金をするのが怖くて大学進学を諦めました。

高卒で社会に出ましたよ。しかも、就職超~氷河期世代でしたから、仕事を探すまでに一苦労。

やっと就職しても残念な企業さんも多かった。なので、今、自分で作家起業してる方が楽です。

……っていうのが、私の世界で経験してきた「常識」だったんですよ。




なのに、お金に苦労したことがない憧れの勉学に励まれた方の記事で「高卒の人がいることに驚いた。」ということを書かれ、高卒の私も驚きました。

本音は妬み100%ですね。

「私ら高卒だっているよ!なんなら中卒の人だっているよ!ってか、勉強するの大変だったんだろうけどさ。勉強をしたくても働かなければならない人って、この国にも、他所の国でもたくさんいるんだよ!!」って。


私が憧れた勉学に打ち込める時間を享受している方の記事から教わった「他者への妬み」と「常識の作られ方」の話です。

本当、感情は使い方次第ではイロンナものに変化します。今回はコラムネタになりました。


でも、確かに私もエスカレーターで私立で、ほぼ似たような仲間に囲まれて育っていたら、それが「常識」になっていたんだろうな~ってやけに納得もするんですよ。

私も全ての「常識」を知りませんから。

世界は「常識」にあふれた非常識で成り立っているのかもしれません。


今日も、誰かに私が笑われていますように。