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人生やめたい。ぼくがマンションの最上階から飛び降りた時の2つの気持ち

初めまして、澤登(さわと)和夫です。「さわとん」と呼ばれています。

実はこの投稿はぼくが初めて書く「note」の投稿です。これまでもブログは書いてきましたが、近頃noteで素敵な投稿を見る機会が増えたのでぼくも書いてみることにしました。

で、最初の記事ですが、ぼくの存在の「原点」について書いてみます。  

突然ですがぼくは、
マンションの最上階から飛び降りたことがあります。 

2005年8月16日、この記事を書いている日からちょうど15年前のことです。
 
その時の気持ちをお伝えすることで、今、人生に悩んでいる方や、悩んでいる人の力になりたい方の力になれるかもしれないと思い、お伝えします。

サラリーマン時代、過労と心労がきっかけでうつ病に

唐突なので少し説明させてください。ぼくはサラリーマン時代、5年半うつ病で苦しんだ経験があります。きっかけは過労と心労でした。静岡の物流会社に入社したぼくは3年目で選ばれて東京の関連会社である船会社に3年間出向することになりました。はっきりいって出世コースでした。ちょうど(1回目の)結婚も重なり栄転と結婚で人生順風満帆だと思ったのですが、出向先の会社に行ってみるとまぁそれはそれは頭がキレるすごいメンバーばかりでついていくのがやっとの日々。

出向の身分だし迷惑かけないようにと頑張って朝早く出社して終電で帰れればラッキー、新婚だけど土日も出社して、、という生活が続き、次第に頭が回らなくなりました。新聞も見出ししか入って来なくなり、次第にはパソコンのスイッチを押すもの億劫になってきて。これはおかしいなと思い切って精神科に行ったら「典型的なうつ病ですね」と。人生順風満帆のはずが出向からたった4ヶ月でうつ病宣告。あっという間にどん底へと近づいてきました。

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(↑接待の時に上司と取引先の方と。笑顔で元気そうに見えるけど実はかなりのうつ状態でトイレの中では下を向いてうずくまっていたのを覚えています)

それから3年間、体が鉛のように重かった日も多かったけど、それでもなんとかなんとか重い腰を上げて会社には行き続けました。3年間の出向期間、一度も休職はしなかったのです。当時はまだうつに対する認知が低かった事もあり、医師からは休んだ方がいいと言われても休むという選択ができませんでした。「休んだら迷惑をかけてしまう」というのも休職しなかった理由の一つでしたが、本心としては「出世街道から出遅れたくない」という事がもっと大きかったです。「プライド」とか「ダメな自分に思われたくない」とか色々な鎧を着ていて脱げなかったんですね。

しかし3年間の出向から元の会社に戻った時に緊張の糸が切れてしまいました。私生活でもちょっとした喧嘩から「出てけ!」となり、そこからこじれて離婚。うつがひどくなり、今度は流石に休職しました。4ヶ月で復職したもののうまくいかず再休職。離婚と復職の失敗はあまりに大きかった。人生やめたい、いてもしょうがないという気持ちがどんどん大きくなっていきました。

マンションの最上階から

人生やめたい、死にたい、という気持ちは、うつになった頃から漠然とはありました。しんどくて消えてしまいたい、と思うことも多かったです。そんな苦しい気持ちを新婚の当時の妻にも心配かけたくないとなかなか話せなかった事もまた苦しかったです。

そして、離婚して休職する中、天井を眺めながら、次第にどうやって死のうか、そしてどの方法で、、どのマンションから、、、とどんどん具体的に考えるようになっていきました。

そして、ちょうど15年前の今日です。夜、スイッチが入りました。

当時は離婚して実家にいたのですが、「ビール買ってくるね」と母に嘘をついて外に出ました。なんか様子が変だと思った母も外に出ましたが、ぼくは事前に下見していたマンションに自転車で一目散に向かいました。自転車で追いかけてくる母を振り切りました。

そして、そのマンションに着き一目散に外の階段を駆け上がりました。そしてマンションの最上階から、下を見ました。躊躇はありませんでした。そんな時でも巻き込んではいけない、という気持ちだけはあり下に誰もいないのを確認した後、ポンっと飛び降りました。ぼくは気を失いました。

気づいたら、道路の上に寝そべっていました。どのくらいの時間かはわかりません。夜だったから誰も気づかなかったのでしょう。「あれっ、俺、何してるんだろう」よくわからないままに家に向かって歩き始めました。

後でわかったのですが、ぼくは膝を骨折していました。それでも歩いたのだから何かアドレナリンのようなものが出ていたのかもしれません。そして歩いている途中で、自分が飛び降りたことを思い出しました。家に戻ると血まみれのぼくは救急車で運ばれました。

飛び降りた時に思っていた2つの気持ち

飛び降りた時、ぼくが思っていたことは2つです。

ひとつめは

1、とにかく楽になりたい。解放されたい

という気持ちです。一番辛かった時の感覚を表現するのは本当に難しいのですが、もうとにかく1秒1秒しんどかったです。希望がないとか絶望とかももちろん思ったけど、とにかく今の1秒1秒がしんどい。ボクシングのパンチを浴び続けているような、あるいは水面に顔をずっとつけているような、そんな感覚。1分が本当に長くて何度時計を見ても全然進んでいかない、この苦しさからとにかく逃れたい、解放されたい、楽になりたいという気持ちでした。

2つめは

2、ゼロからやり直したい。リセットしたい

という気持ちです。なんとか今の苦しさから逃れようともがくんだけど、もがけばもがくほど壁が高くなっていくような、蟻地獄から抜けられないような感覚でした。どうやってもあの笑顔だった頃に戻れない。むしろどんどん苦しくなる一方。だったら、ゲームのリセットボタンを押すように人生もゼロからやり直すしかない。ゲームとは違って人生終わってしまうからやり直せないとはわかっていても、それ以外に何も選択肢がないような感じでした。今考えれば戻らないでまた別の道に進めばいいんだけど、うつがひどかった事もあり別の道のことは考えられませんでした。

「死んだら悲しむ人がいるじゃないか」
もちろんその通りです。気持ちとしてはわかっています。でもそれを考える余裕はありませんでした。

あの日から15

結局、足と顔の骨折はしたものの、一命は取り止めて、医師からは「頭からだったら大変だったね」と言われました。それから同じような行為をしないようにと精神科病院の閉鎖病棟に入院し、次第に死にたい気持ちも少なくなっていきました。

(※何階から飛び降りたのか気になる方もいると思いますが、これだけはぼくの中に留めています。それが変に伝わってじゃぁもっと上からとかなっても本意ではないので。)

あの飛び降りた日から、今日で15年経ちました。

潰瘍性大腸炎という難病になって大腸を全摘出なんてこともありましたが、それもきっかけで心身ともに元気になり、「以前の自分と同じような人の力になりたい」とカウンセラーとして34歳で起業しました。

それから人生で悩んでいる方とたくさんお会いしてきました。人生をやめたい方とお会いしてきました。ご家族ともたくさんお会いしました。

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気づけば、自殺対策の講演会などで体験を踏まえてお話するようになりました。

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「人生をやめたいと思ったとき読む本」という本も出版させてもらいました。

人生経験を活かして起業したい人のサポートをしたりと、起業した頃には思いもしなかった事も行っています。起業した頃は使命感に燃えていましたが、起業から12年経った今、使命感では無く気持ちのままに素直に動いている感覚です。

今、ぼくがお伝えできるたったひとつのこと

日々色々な形で色々な方とお話しお伝えしています。専門的にアドバイスさせてもらうこともありますが、本当にお伝えできることはたった一つです。これしかありません。

それは、

「生きてきてよかった」

ということです。

今、生きてきてよかった。生かされてよかった。飛び降りという意を決した行為が失敗してよかった、ということです。

もちろん、日々色々なことがあるし、フリーなので食っていく心配とかも当たり前にありますが、すべてひっくるめて生きてきてよかった。

かっこいいことは言えないけど、これからもこの事を色々な方法で伝えていきたいと思っています。

ぼくの「note」、記念すべき1記事目、思っていた以上に随分と長くなりました。読んでくださってありがとうございます。

これからも、自分なりに書いていきたいと思っています。

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参考:9年前に新聞に掲載された記事

これは2011年2月20日、今から9年前に朝日新聞の「声」欄へ自ら投稿し掲載された記事です。今回色々書いてきたことのまとめにもなっています。

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