人間関係に悩むすべての人へ・平野啓一郎さんの『私とは何か・「個人」から「分人」へ』を読んでみた〜その2〜
どうも!
好きなデザートは杏仁豆腐です。
カルディのパンダ杏仁豆腐美味しいですよね。
さわたや薬房の早川です。
カルディのパンダちゃん杏仁豆腐はちゃんと杏仁が入っているので美味しいですよね。注意しないと杏仁のかわりに香りが似ているアーモンドパウダーしか入ってないものもあるので気をつけたいですね。
『アーモンドパウダーでも美味しければいいじゃないか!』という方ももちろんいると思うのでそれは否定しませんし、美味しく食べれたらそれでいいですよね。
でもそれは『アーモンド豆腐』であり『杏仁豆腐じゃない!』なんて言うと『このおじさんうるさいなぁ』ときっと若い子に嫌な顔されてしまいますね。
デザートなので美味しければ良いのですが、一応漢方の専門家の国際中医師なので、ちゃんと杏仁が入っている杏仁豆腐を食べ続けたと思います。
アーモンドでも全然良いんですけどね。
杏仁の生薬としての働き・・・・『止咳平喘』と外感や痰濁などによる実邪による咳などを鎮めて呼吸を整えたりします。麻杏甘石湯などが有名ですね。
また『潤腸通便』と言って女性に多い血液不足で腸の潤いが不足しておこるような便秘に使ったりします。潤腸湯や麻子仁丸などが有名ですね。
なので熱があり、咳がひどいときなどに杏仁豆腐を食べることは良い食養生なので、そんな時に食べるならアーモンドパウダーでなく杏仁が入っている物を成分表示を見るとかいてあるので、せっかくなので確認してそっちを食べましょうね。
さて、今回も前回に続き、平野啓一郎さんの著書を読んでの僕なりの感想や皆さんの心の健康につながるようなことをお伝えできればとおもいます。
前回のnoteをご覧になっていない方はぜひ、そちらからご覧いただければと思います。
今回のテーマは『人間関係に悩むすべての人へ・平野啓一郎さんの『私とは何か・「個人」から「分人」へ・を読んでみた〜その2〜』 お届け致します。
☆平野啓一郎さんの『分人思考』とは?
前回に引き続き僕が最近読んだ本である平野啓一郎さんの『私とは何か』の中で書かれている『分人』という考え方にお伝えしたいと思います。
前回は平野啓一郎さんの今回の著書のメインである考え方『分人』とは何か?
どんな種類の物があるのか?ということについてお伝えしました。
今回はその続きです。
☆分人を使い分けることは悪いことではない
前回のnoteで分人の代表的な種類などをご紹介しました。
分人というある意味僕らは様々な『顔』を使い分けて生活をしているとも言えます。
潜在的に僕たちは人によって自分を変えることに悪いイメージをもっているのかもしれません。
例えばAというお客様とBというお客様と接する時は当然、話し方や接し方が異なりますよね?これを同じじゃないと否定するのはちょっと違うと思います。
仕事の場合、よくないのは人によってサービスの基準が異なるのは同じお客様でも不公平感がでるのでよくありませんが(いわゆるえこひいき)
話し方や接し方はその相手の個性に合わせて分人化して良いものだと思います。
本文の中では学校の先生を例えに出しており、
我々は生徒の個性に合わせて分人化してくれるような先生を良い先生と考える。
どんな生徒とも職業的な分人(教師としての分人)として接するような人は悪い先生と考える。
とありました。どんな生徒にも同じように接する先生は画一的で面白みがなく機械的と言われます。
逆に生徒の個性に合わせて、金八先生のようか感じでしょうか?対応する先生、分人を使いまくる先生のほうが良い先生だと言われるのはある意味当たり前のことなのかもしれません。
これって決してえこひいきではありませんよね。
ブレない本来の自己など存在しない
そう作品のなかに書かれていました。ブレて当たり前、違って当たり前と思うと気が楽になりますよね。
☆他人に自分との分人を押し付けない
自分自身もそうですが、僕らがやりがちなのが他人にどこに言っても自分と一緒にいるときの分人を強要してしまうことです。
『お前はそうじゃないだろ』
『あなたはこういう人でしょ』
など親が子に言いがちな内容ですよね。
家ではよく喋る子が学校であまり喋らないと『ほら、家ではあんなにしゃべるじゃない、お友達とおしゃべりしなさい』
などと言う親がいますが、これこそ家庭での分人を学校で求めるのは違う、ということだと思います。
学校では学校での分人が子供にもあるので『この子はこういう子』と決めつけて強要することは大きなストレスになると思います。
また、何か対人関係で居心地の悪さを感じたら、その悪循環から抜け出すには分人を変えるためにもつきあうひとを変えることも良いと書かれておりました。
☆一つの分人が上手くいかないからと人生を諦めちゃダメ
今回はこの平野啓一郎さんの作品を読んで強く感じたことは
『ある一つの分人がダメだからと言ってあなたの全部がダメなわけじゃない』
僕はこのようなメッセージをこの作品から感じました。
なので、皆さんにご紹介したいと思いましたし、心の相談の時に今回の学びを活かしたいと感じました。
そして作品中のこの部分の考え方が大事だと思います。
学校でいじめられたりしても、家での自分、友達といる自分など、快活に過ごせる自分の分人を足場にして、生きる道を考えたらよい。
放課後まで学校でいじめられている自分、仕事でうまく行っていない自分を引きずる必要はない。
人格は一つしかない、本当の自分は唯一つ、と言う考え方は不毛である。
これは学校だけじゃなく、仕事や家庭、すべてのことに言えることだと思います。
何か上手く行っていない人間関係がある場合、その人間関係が会社の人事などによる解決が難しい場合(小さな職場での人間関係、家族、親戚関係など)
上手く行っていない、不幸な分人化が起きてしまっているかもしれませんが、自分のアイデンティティ(個性)を考える上では、その分人の比率は大きくとらえずに妻や恋人、友人と居るときの分人を大切にする。
会社での分人で他の人と接する必要はまったくないと言うことです。
この世から消したくなるのは分人のなかのごく一部、不幸な一つだけの分人で、個人すべてを消してしまう必要はないのです。
今回は平野啓一郎さんの『私とは何か』を読んで僕が感じたことをお伝えさせてもらいました。
少しでも皆さんの心の健康につながるヒントになれば嬉しいです。
作品の中でも恋愛に関することやもう少し突っ込んだ『個人』と『分人』というもの概念なども書かれており、本当に失礼ながら今まで平野啓一郎さんの作品を読んだことがなく、今回この作品に出会い、このような思考をもつ平野啓一郎さんの作品をぜひ読んでみたいと感じました。
偶然ですが平野啓一郎さんとは年齢が全く同じということもあり、同い年の人がこれだけの概念を作り上げて小説などを書かれていると思うと大きな刺激をいただきます。
きっと平野啓一郎さんは小説を書く上で登場人物などの人格を色々考えていき、登場人物がどんな思考をしているか?など色々考えた時にこの『分人化』という考え方に行き着いたのだと思います。
僕たちは
一人の男性・女性としての自分
子供としての自分
親としての自分
仕事での自分
プライベートでの自分
様々な顔を持っています。繰り返しになりますが、この中の一つの分人が上手く言ってなくてもあなたが上手く言ってないわけじゃありません。
興味を持った方はぜひこちらの作品、読んでみてくださいね。
※文章中に平野啓一郎さんの『私とは何か』より引用した部分は引用とわかるようにさせていただきましたが、抜けている場合があるかもしれませんのでご了承ください。
参考文献:講談社現代新書 平野啓一郎著 『私とは何か』
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