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シンセサイザーの音がする

人生で何度目かの、フィクション没頭期に入った。最初は小学校2年生の時だった。タイトルは忘れてしまったが、子供向けのシリーズで、ちょっと弱気な王様を中心とした群像劇のような話が、私の読書のスタートだったと記憶している。そのあとは小学4年生、星新一を学習塾で勧められた。当時の塾の親友と、お互いに被らないよう1冊ずつ買い、交換しながら読んでいた。中学に入ってからは『ダレン・シャン』や『ハリー・ポッター』などのファンタジーにどはまりし、小川洋子やあさのあつこなど、子供にも害のない本をたくさん読んだ。このころから、映画にも興味を持ち始めた。なんとなく洋画を主にDVDで鑑賞し、『ヒート』『ゴッドファーザー』をはじめとしたクライムアクションに熱中した。高校に入ってから伊坂幸太郎がデビューし、村上春樹や江國香織といった純文学にも手を出した。加えてアメリカのシットコム『フレンズ』を知り、部活の隙間時間にアルバイトをしてDVDを全巻揃えた。大学では純文学の領域を村上龍や吉田修一、川上未映子などにに広げていった。同時に、映画は新しいものが続々と登場した。『ラ・ラ・ランド』『シェイプ・オブ・ウォーター』『フューリー』、そういった圧倒的な作品たちは、映画が過去のものではないことを私に証明してくれた。『レヴェナント』ではあのデカプリオがアカデミー賞で主演男優賞を獲得したし、クリストファー・ノーランはまぎれもない巨匠になった。

音楽はどうだろうか? 映画は技術の発展で、一部は過剰なCG演出とキャラクター性の押付けにより芸術の域を離れる結果となったが、単純に映像が綺麗になった分、没入感が増した。小説は絶対的な発行数こそ減っているが、根本的に不変だと思っている。音楽は、一部では死んだと言われている。オアシスが最後のロッカーだとか、マイケル・ジャクソン以降偶像的なスターは現れていないとか、いろんな意見がある。

私個人の意見としては、いい曲が生まれ続けているのは事実だと思う。しかし、映画の単純な進歩や小説の不変性とは違い、ポピュラー音楽は確実に時代とともに変化している。変化を良しとしなくなったのはいつからだろう? キッスが出現したあたりか? 声量やパフォーマンスだけで乗り切るようになった80年代あたりだろうか? エルビス・プレスリーからビートルズにかけての変化は、世界中誰もが歓迎したものだった。ビーチボーイズが生まれて、フォークやサイケが生まれた。エリック・クラプトンやジェフ・ベックのような圧倒的なテクニックを持ったものが目立つようになり、かと思いきやラモーンズが売れたりした。そのうちに産業性が目立つようになって、当時はそれでも熱狂の中ごまかせていたが、マーケティング用語でいう賢い消費者が現れてから、確かに音楽は別物になったのかもしれない。

改めて言うが、いい曲は毎年生まれている。ブルース・スプリングスティーンが新しいMVを出したりもするし、あいみょんや米津玄師のような、圧倒的に感性に長けた日本の若手ミュージシャンも出現している。確かに、ビーチボーイズは歌が上手い。現代のポピュラーシンガーのように声を張るわけではない。ただ、声が美しいのだ。しかし、現代のアーティストを無視してまで、昔の音楽に固執しようとは思えない。

音楽の変化という意味では、60年代の音楽に存在しないものとしてシンセサイザーがある。あるにはあったのかもしれないが、音の種類や重ね方は現在の方が圧倒的に、技術が進歩している。私の個人的な嗜好だが、何か情景を強く思い起こさせる現代の音楽は、必ず優秀なシンセサイザーの音が重なっているように思う。

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