幸せには、あったかハイム。
去年の今頃。私は、Zepp Osaka Bayside の舞台に立ち、過食でひとりだった——。
2019.12.30
私は Zeppの舞台で『Born This Way - Lady Gaga』を踊っていた。
これは一般人が、自らお金を出して会場を借りて、
集客までして行った、単独ライブだった。(写真右
私自身は、特別ダンサー経験があるわけでもなく。
主催の Ai Kabasawa さんの発信をみていたら、
ダンサーを募集すると知り。
そんな機会があるならと申し込んで、彼女の企画に相乗りする形で参加した。
最高の舞台で、カッコいい衣装を着て、金の花吹雪や、スポットライトを浴びて、踊る。
そりゃあ、素晴らしい経験だったし、アドレナリンも出て、気分が高揚した。
けれど私は、ひとりだった。
Zepp 大阪から一駅の、西九条にある小さなビジネスホテルに泊まって、参加したけれど。
体型がわかる衣装だったこともあり、当日までは、極力食事に気をつけて、少食で過ごしていた。
しかしライブが終わって、また、過食が始まった。
華やかなライブに参加して、その瞬間は満たされた気になっても所詮、私はひとり。
東京で2人暮らしをしていた姉とは、そりが合わず。
なるべく顔を合わせずに過ごし、最低限の言葉しか交わさなかった。
家に帰ると、刺すような視線を感じたり、舌打ちが聞こえるのが怖くて、いつもビクビクしていた。
居場所が、なかった。
朝早くから出掛け、カフェを転々とし、コンビニを渡り歩いて、菓子パンや揚げものを食べた。
ファミリーレストランで、軟骨のから揚げの注文を繰り返し、夜遅くまでひとりで食べた。
——誰とも、繋がっていない気がした。
食べることが頭を占め、食べ物がないと身体が小さく震えて、呼吸が浅くなった。
「もう気持ちが悪い、食べたくない」
そう肩を落とすのに、次の瞬間には身体の奥にいる暴力的な何かが、私を急かした。
1日を生きるには、食べ続けないといけなかった。自分でもバカだと思ったけれど、それ以外に時を過ごす術がなかった。
そして、お金がなくなった。
あれから、1年。
当時は、なんて独りだったんだろう。と思い出す。
お金が底を尽き、生活できなくなった私について、家族で会議が行われて。
コロナウイルスが出現する前に、私は実家の長野へと帰ることになった。
…
——すごく、幸せだった。
おはよう、おやすみ。お風呂でバカ笑い。
ご飯を一緒に作って、食べて、誰かが髪の毛を乾かす近くで、化粧水を顔につけたりして。
自分の存在を、認識してくれる誰かがいる。
何気ない日常会話をしているだけなのに、温かくて満たされた気持ちになった。
帰れる、場所がある。
それだけのことが、こんなにも安心感があるものだとは、知らなかった。
——ここにいてもいい、と思える居場所。
それこそが、私の求めていたものだった。
あれから、時折ぶり返すこともあるけれど、過食は収まりをみせていて。
私が勝手に落ち込んで、うずくまっている時。
死んだ魚のような目をしている時。
どうしたの? と声を掛けてくれる存在がいることに、涙が出る。本当に救われている。
ひとりと、独り。
私はひとりの空間が好きだ。その方が、落ち着くことも多くある。
けれど、それは『気の置ける誰かと過ごす時間』があっての、ひとり時間で。
自分は一匹狼タイプの、
孤独に強い人間だと思っていたけれど。
実は寂しがり屋だし、人との繋がりがないと生きていけないんだと、知った。
…
話がいろいろ、脱線したけれど。
結局、派手なパフォーマンスをして高揚感を感じても、帰る場所がなかったら、幸せを感じられない。
だから
私たち人間には、「温もりのあるホーム」が
必要なんじゃないか。
物理的な家でなかったとしても、
ここにいてもいいんだ、と思える場所。
自分の存在を受け入れてくれる場所って、
絶対に必要だと思うんだよね——。
帰りた〜い
noteも、そんな居場所のひとつです。
(まだまだ新米だけどね。
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