【『逃げ上手の若君』全力応援!】(69)諏訪神党の後押しを受けて生き生きと戦場を駆ける時行に頼重……その前に敗北を喫する麻呂に救いはあるのか?
「信濃の戦場で皆の信仰を一身に浴び… 我が神力は最高潮」「貴方様の近い未来が全て見える」「逃げ上手と郎党の護りを駆使すれば この突撃中 敵の矢はぜったに当たりませぬ」
蛇行剣を振りかざし、神力みなぎる頼重のなんと楽しそうなこと! そして、頼重以上に興奮が隠せない様子の時行が、戦車を駆け登って麻呂こと清原国司に迫る!!
「当たりませぬ 当たりませぬ 当たりませぬ!」
時行に矢は当たらずとも、時行の放った矢が、完璧な防御を誇る戦車の設計の隙をついて、麻呂の首筋を掠めた『逃げ上手の若君』第69話。ーーストーリー展開もまた、史実と創作の間を掠めて矢が飛んでいくようなスピード感にあふれていました!
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「諏訪で出土したこの「蛇行剣」を始め 日本では異形の武器が宗教儀式に使われてきた」
戦場で鎧兜も身に着けない頼重が手にしているこの「蛇行剣」については、本シリーズの第65回で触れました。
他、作品に描かれている枝分かれしている剣は、教科書などでもよく見る「七支刀」ではないでしょうか。
七支刀(しちしとう)
奈良県天理市、石上(いそのかみ)神宮蔵の古代の鉄製剣。刀身の左右に三本ずつ枝刃が交互に木の枝のようにつけられているところからいう。全長七五センチメートル。六五・六センチメートルの剣身の両面に金象嵌(きんぞうがん)の銘文があり、百済から日本に贈られたものと読まれる。四世紀後半の作。〔日本国語大辞典〕
※象嵌…金属、陶磁、木材などの表面を彫って他の材料を埋込む技法。金属工芸では、金属面の一部を削り取って、そこに別の金属を埋込む。
石上神宮については、国史大辞典にさらに興味深いことが書かれていました。
なお特筆しなければならぬことは本社はもと本殿なく、拝殿の背後に禁足地と称する箇所があり、御正体たる神剣が埋納されていると信じ来たったが、明治七年(一八七四)時の大宮司菅政友はこの伝えを立証して神剣を掘り出し、正しく奉斎したいと考え、教部省の許可を得て発掘を行なった。その結果多数の玉類(勾玉・管玉など)とともに、一口の鉄製素環頭内反(そかんとううちぞり)大刀が出現した。それこそ真の霊であるとして本殿内に奉安して現在に至っている。この時発見された勾玉十一顆は、いずれも硬玉製の優秀品で重要文化財に指定され、その他の玉類も優れた作品であり、禁足地が一種の祭祀遺跡であることを示しており、発見の素環頭大刀とともに四世紀代の作品と推定される。なお上述の神庫に納まる伝世品中にも他に類を見ない鉄盾二枚や色々威腹巻(いずれも重要文化財)をはじめ、多数の武器・武具があり、さらに今は本殿内に納められ御正体に次いで重要とせられている七支刀(国宝)は、その形状奇古であるばかりでなく、金象嵌の銘文があり、百済から倭王に贈られたもので、わが国の古代史上に重要な資料を提供している。
※禁足地…歴史上・宗教上の理由からぜ立ち入ってはいけないとされる場所。
※御正体…御神体。
※環頭大刀(かんとうのたち)…柄頭(つかがしら)に環状の飾りのある大刀(たち)。中国で最も普遍的なもので、飾りのない素環から各種文様が生まれた。日本では、古墳の副葬品として多く出土する。
※内反(うちぞり)…刀身の反りが、刃のほうに反っていること。。
諏訪大社にも、もともとは社殿がなく守屋山を御神体としていたという説があります。こうした神社に秘された信仰上の共通点とは、一体どのようなものなのか、とても気になります。
もう一本の武具は〝鎌〟でしょうか。私の日本史の知識ではこれが歴史上有名な鎌形の祭器なのかはわからないのですが(ご存じの方がいらっしゃいまいしたらぜひお教えください)、諏訪大社には「薙鎌(なぎかま)」という御神体があるのを上社本宮に併設された宝物殿で見ました。内反で、背中に羽状の切り込み、目とクチバシがあって、とてもユーモラスな形をしています。風を鎮める神具という見方が有力とのことですが、これらはすべて現代社会の一般的な道具が持つ〝実用性〟をはるかに超えた、現実に働きかける力を持っていたのだと想像されます。
鎧兜を身に着けない諏訪頼重といい、蛇行剣といい、守屋山の謎(第24話参照)といい、少年漫画におけるファンタジーと割り切るには、考古学・民俗学上の証拠がそこにからまって、どこまでが諏訪氏と信濃の信仰のリアルなのだろうと、不思議な気持ちにさせられます。
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第69話ではもうひとつ、諏訪のリアルとファンタジーとの接点となるアイテムが登場しましたね。ーー頼重が時行に手渡した一本の矢です。
「神力を込めて叩き上げた黒曜石の破魔矢 人の内の悪しき神力を焼き払いまする」
第6話で登場して以来の「黒曜石」が、麻呂に注入された尊氏の唾液……違いましたね……「悪しき神力」を浄化する力を持っていたのです。昨今はパワーストーンといったものも流行っているので、ネットで調べてみたところ、黒曜石には邪気を払う効果があるそうです(笑)。
※諏訪の黒曜石については、このシリーズの第6回で、調べたことを記しています。
諏訪の地に満ちる神力と黒曜石ではありましたが、掠っただけだったせいなのか、あるいは尊氏の唾液が強烈過ぎるからなのか、麻呂は自分を取り戻せなかった形で最期を迎えたのは悲しかったです。
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「「あれ? 時継様どこぉ?」 …と昔から何万回と言われてきた私の影の薄さを甘く見たな」「若君の初陣も父に頼まれ見守っていたが ついぞ誰も気付かず終い」
第69話では、この時継の告白に思わず吹き出してしまいましたが、自分の影の薄さを嘆いて常に涙を流している彼ではあるものの、どういうわけか焦燥感や悲壮感は感じられません。
第68話では、天狗が姿を隠すと言った際に、時継は「ニヤッ」と笑いました。〝おおっ、どんな必殺技をと時継は持っているんだ!?〟と期待していたら、天狗の予想をはるかに上回る影の薄さの持ち主であったというオチでした。ーー時継は、一般的にはマイナスの要素とされがちな「影の薄さ」を逆手に取って、自分の強みにして勝つ(生かす)ことに心を砕いているのです。父・頼重のように目立ちたいという思いがありながらも、父と自分は違うということを認め、自分が自分であることを受け入れているのです。
一方の麻呂は、おそらくは自らの「天賦の才」にまったく気づいておらず、〝自分ではないもの〟になろうとして期待を抱き、それがいずれは野心となったのを、うまく後醍醐天皇や足利尊氏に使われてしまったのだと思うのです。もちろん、雫の言うように「生まれた時代と生まれた身分と信じる相手を間違えてしまった」という不運は大きいでしょう。
それでは、現代を生きる私たちはどうでしょうか。
麻呂の生きた時代よりもはるかに自由が許された現代にあっても、私たちに〝自分ではないもの〟になろうする期待や野心を抱かせ、破滅へと向かわせる何かがあるとしたら、一体何が、私たちの内に「悪しき神力」として忍び込んでいるのでしょうか。
〔諏訪市史編纂委員会『諏訪市史 上巻』、戸矢学『諏訪の神』(河出書房新社)を参照しています。〕
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