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『嫌われる勇気』から考える夫婦関係

こんにちは!
旅するカウンセラー、SAWAです。

今日は『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラーの教え」』を通して夫婦関係について考えてみたいと思います。

2013年に発売されて以来、日本だけでなく世界40以上の国や地域で売れ続けているこの本は、パートナーシップに関する本ではありませんが、本書の中で語られる「全ての悩みは人間関係」という内容から考えても、大切なパートナーとの関係改善に大いに参考になる本だと思います。

この本で紹介されているアドラー心理学といえば、以下のような特徴があります。

①目的論:人はまず目的を持ち、その方向に思考し、行動する
②全体論:人の意識、無意識、思考、行動は個人として一貫している
③社会統合論:人は社会に埋め込まれている社会的な存在である
④仮想論:人は自分、他者、周りの世界を自分が見たいように見ている
⑤個人の主体性:人は自分の人生を自分で決めることができる

出典:職業相談場面におけるキャリア理論及び
カウンセリング理論の活用・普及に関する文献調査

ですが、専門的な議論をしたいわけではなく、ここでは私が夫との関係改善に役立ったと感じている【2つのポイント】についてお話ししていきたいと思います。

その2つとは、【目的論】と【課題の分離】という考え方です。

ちなみに、今日のテーマを取り上げるに当たって、私の夫に対するモラハラという負の過去にも触れることになります…。

本当は隠しておきたい事なのですが、「こんな私でも変われた!」ということをお伝えできたらと思い書いています。


目的論:「不機嫌な私」でいることを決意していた私

アドラー心理学が提唱する「目的論」では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」に基づき行動すると考えます。

本の中でも、哲学者を訪れた青年が「自分は短所ばかり。自分が嫌い」だという話をするシーンがあるのですが、哲学者はこう言います。

短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているからです。

『嫌われる勇気』

なぜあなたは自分が嫌いなのか?(中略)それはあなたが他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れているからなのです。(中略)つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係の中で傷つかないこと」なのです。

『嫌われる勇気』

青年は、人間関係で傷つくことを恐れるあまり、自分の殻に閉じこもることで人との深い関りを持つことを避けていたのです。「自分を嫌う」という手段で、「人間関係で傷つかない」という目的を達成していたということですね。

さて、この「目的論」を、夫婦関係で悩んでいた私のケースに当てはめて考えてみたいと思います。

私は子供が産まれてから、基本的にずっと夫に対して「不機嫌」でした。

夫は仕事が忙しく、そして仕事の優先順位が高く、子供が生まれる前から朝から晩まで(時には週末も)働き詰めというワークスタイルが今でもずっと続いています。

そんな夫に対して私はずっと、働き方を見直してほしいこと、もっと家事育児に主体的に関わってほしいことを訴え続けてきました。

でも、変わらない夫。
もちろん実際のところは夫も子供の出産や成長に合わせて変化はしていましたが、私は足りないと思っていました。

自分のご機嫌は自分で取れる人になりたいと思いながらも、心のどこかでは、

「夫が変わらないから私は不機嫌になってしまうんだ」
「これまで夫は非協力的だった。あんなこともあったし、こんなこともあって、私ばっかり大変だった…。」

そんなことを考えては夫を許せない気持ちを上塗りしていたのだと思います。

でも、本の中で語られる目的論の考え方を知った時、夫に対して「不機嫌な妻であり続ける」ことを自分自身が決めていたこと、そんな自分であることを選んでいた自分に気がつきました。

でも、一体、何のために…?どんな目的のために…?

それについて考える中で私は、「不機嫌な私」でいることで、私は夫に対してあるメッセージを送っていたのだと思い至りました。

それは、「私はあなたに不満を持っている」あるいは「あなたは今のままではダメ!認めない!」というメッセージです。

家事育児を人任せにしている(ように私が感じていた)夫に対して不満があったため、「私は納得していません」というメッセージを送る手段として夫に対して不機嫌な私であることを選んでいたのです。

もっと言うと「自分の人生がなんだか楽しくないのは夫のせい」と思うことができる方が、自分にとって都合が良かったのかもしれません…。

それからもう一つ、「不機嫌な私」でいることには目的がありました。
それは、ちょっと書きづらいのですが、夫をサンドバッグにすることでストレスを解消したいということ。

もちろん怒りをぶちまけても問題は解決するわけはなく二人の関係は悪化していきますし、不機嫌な自分に嫌気がさして自己肯定感も下がっていってしまうので、決して幸せな状態ではなかったのですが、でも、遠慮や配慮を必要とせずに、自分の不平不満をぶつけること、そして夫の間違いを指摘するというのはある意味「楽」なことだったのです。

もちろん時には逆に夫にサンドバッグにされることもあって、傷ついたり落ち込んだりすることもあって、今のままで良いわけがないことは明らかだったのですが、「ご機嫌な私」という自分を選ぶチャンスがあったとしても、自分は変わらないことを決めていたように思います。

課題の分離:パートナーの課題に土足で踏み入らない

「不機嫌な私」をやめたいと思いながら、変われなかった私ですが、自分の本当の目的に気がついたことで、パッと視界が開けたような気がしました。

でも、自分の目的に気付いたからと言って、すぐに「ご機嫌な私」に変われたわけではありません。

夫との向き合い方を変えるためには、本の中で述べられている「人間関係を変える具体的なヒント」を理解し・咀嚼して腹落ちさせ・実行するという地道なプロセスが必要でした。

「人間関係を変える具体的なヒント」というのが、「課題の分離」です。

課題の分離とは、簡単に言うと、今直面している問題は
■「誰の課題なのか?」
■「課題の責任を負うのは誰なのか?」

を考え、他者の課題には踏み込まないようにする、ということです。

本の中で哲学者はこう言います。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」
他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」

『嫌われる勇気』

まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。

『嫌われる勇気』

「課題の分離」を夫婦関係において考える時、本来は、夫(妻)の課題なのに、遠慮なく土足で踏み込むということが、夫婦関係においては起こりやすいのではないでしょうか。

夫婦はその近しい関係から、相手が自分とは違う人格を持った人なのだということを、うっかり忘れてしまうということも往々にして起こります。

特に「運命共同体」という意識が強かったりすると、相手の問題=自分の問題だと錯覚してしまうのです。

では、私の場合はどうだったのか。

私は、夫が(私から見ると)無理な働き方を何年間も続けていること、そして子育てにあまり時間を費やしていないことに、心配をしたり、不満を感じてきました。

でも、もし体調を崩して辛い思いをするのは夫だし、仕事ばかりにエネルギーを注ぐことで子供の成長の瞬間を見過ごして後悔するのも夫なのだ、と考えてみることにしたのです。

もちろん夫が大病を患ったり、メンタル不調になったりしたら、私や子供にも大きく影響しますが、でも、やっぱりその責任を取るのは夫本人であって、夫の人生なのです。

それに、夫の体を心配する気持ちに加えて、自分の中には「パパはこうあるべき」という思い込みがあったことにも気がつきました。

夕食は家族みんなで揃って食べるべき

保育園の送迎や体調不良の時に対応するのが、パパとしてあるべき姿

限られた時間の中でパフォーマンスを発揮して、仕事にも家庭にも全力を尽くすのが、かっこいいパパであり、能力のあるビジネスパーソンの証拠

口では「あなたの体調が心配だから」と言いながら、本当は自分が理想とする「パパ像」と違っている夫にがっかりし、時には軽蔑さえしていたのだと思います。

正直なところ、私は今でも、「夫はもっと家事育児に時間とエネルギーを費やすべきであって、果たすべき義務を果たしていない」と感じる瞬間はたくさんあります。

そして、その度に夫に対してモヤモヤしたり、イライラしたり、嫌味を言ってしまうこともたくさんあります。

でも、夫には私の期待(夫はパパはこうあるべき)に応える義務はないし、夫の課題(体調を崩すことや子供との関係が希薄になること)を私がしょい込む必要はない、ということを理解していることが、助けになったことは何度もありました。

それに、夫は夫なりのやり方で、自分の心身の健康を守ることができるし、私がそうしているのと同じように、夫なりのやり方で良いパパであろうと努力をしているのだと「信じる」ことも学んできたと思います。

「彼は彼なりにうまくやるはずだから、私は私がコントロールできることに専念しよう」と。

まとめ

今回は、『嫌われる勇気』で語られている「目的論」と「課題の分離」に基づき、夫婦関係に悩んでいた過去の私の場合についてお伝えしてきました。

本当に変わりたいのに、変われない。
心から望んでいることがあるのに、それを達成できずにいる。

もし、そんな状態にいるなら、「自分の本当の目的は何なのか?」を考えてみてください。

例えば、パートナーに本音を伝えたいのに伝えられないのなら、もしかすると「本音を言って相手から嫌われること、否定されることを避ける」という目的があるのかもしれません。

あるいは、相手が過去に犯した過ちを許したいのに許せないなら、「相手に罪悪感を抱かせて自分が優位に立ちたい」という目的があったりするのかもしれません。

人それぞれ、理由があるのだと思います。
そして、自分の本当の目的に気が付いたなら、まずはそれをじっくりと味わってみてほしいです。

「私の本当の望みはこれだったんだ…」
「私の本音はこっちだったんだ…」

良い・悪いの評価はせずに、ただそれをじっくりと味わってみたうえで、何を感じるか。答えや解決策にすぐ結び付けたくなるかもしれませんが、焦らずに考えてみてください。

もしかすると、「自分を保つためには仕方がなかったのかも…」と思うかもしれないし、「これからは、もっと合理的な目的にシフトしたい!」と感じるかもしれません。

その上で、「課題の分離」が、夫婦関係を改善するために具体的に役立ちそうだと感じたら、ぜひ取り入れてみてほしいです。

もちろん、課題を分離することは、理解はできても実践するのがとても難しいと感じる人も多いかもしれません。

私もその一人でしたし、本の中で哲学者と向き合う青年も、その難しさに戸惑ったり、腹を立てたりする場面がたくさん描かれています。

わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。(中略)わたしの変化に伴ってーわたしの変化によって、ではありませんー相手が変わることはあります。でも、それが目的ではないし、変わらない可能性だってある。

『嫌われる勇気』

これを腹落ちさせることは、なかなかにハードルが高いことです。

でも、だからこそ、自分の限界を認める勇気(もしくは自分の思い通りになんてならないんだと現実を直視する勇気・自分が変えられることだけに専念する勇気)を持つことができた時に、自分とは根本的に異なるパートナーに対して、「それでも、この人と一緒にいたい」と思えるとしたら、それは本当に奇跡みたいなことなのだなあと感じるのです。

最後に、「なぜ夫婦関係が悪くなってしまったのか?」を考えることも大切ですが、たとえ原因が分かっても、それを単純に取り除いて、関係改善に繋げることは簡単ではないでしょう。

だからこそ、アドラー心理学の視点を持って、「どうしたら夫婦関係が良くなるのか?」にフォーカスしていくことが、夫婦関係を変える可能性を大きくしていくことに繋がるのではないかと思っています。

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