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The Lost Universe 巨大単弓類⑤そして哺乳類へ

本シリーズの最終回。それは、すなわち哺乳類の誕生です。
初期種においては風変わりな爬虫類にしか見えなかった単弓類ですが、永きに渡る試行錯誤の繰り返しの果てに、いよいよ哺乳類への進化を果たします。新たな生物群の爆誕は、これからの生命史に大きな影響をもたらします。
1億年以上もの生存競争を戦い、我々に命のバトンをつないだ単弓類。その後も、彼らは中生代の末期(あるいはさらに新しい時代)まで生き続けました。単弓類が地球史に刻んだ栄光の軌跡を、最後まで見届けたいと思います。


乗り越えろ! 地球史上最悪の大絶滅!!

ほぼ皆殺し? 全生物の90%以上が絶滅

古代の大量絶滅と聞いて、多くの人々が思い浮かべるのは恐竜時代末期の環境激変だと思います。しかし、さらに古いペルム紀後期においては、他の時代の大絶滅をはるかに凌ぐ超大規模の環境激変が発生しました。

まさに災害中の災害。
なんと、地球に生きる全ての生命の90%以上が絶滅したという史上最大の環境変動なのです。海洋生物・陸上生物を問わず、(全生物の中で最も数の多いとされる昆虫でさえも)大半の種類が滅びました。

三葉虫ブルメイステリアの化石(ミュージアムパーク茨城県自然博物館にて撮影)。ペルム紀の大規模災害により、三葉虫の仲間は完全に絶滅してしまいました。
同じく、ペルム紀の環境激変にて絶滅したパイレアサウルス類のスクトサウルス(佐野市葛生化石館にて撮影)。とても栄えた爬虫類でしたが、中生代に辿り着くことでできませんでした。

その原因はいったい何だったのか。これまで数多くの地球科学・古生物学の専門家が研究を重ねてきました。地底のマグマが大量に地上への流出、超長期感による大規模火災やそれに伴う環境激変などが提唱されていますが、それらに起因する地球規模での酸素濃度低下がかなりの痛手となったようです。

当時の地層には酸化鉄がほとんどなく、これは大気中の酸素濃度が著しく低かったことを示唆しています。植物もかなりの種類が絶滅しており、光合成による酸素の生産量が著しく低下したことも、多くの生き物たちを苦しめました。地球規模での酸素濃度の低下は地球史の中で何度も発生していますが、ペルム紀の大量絶滅の場合は、規模的にも期間的にも他の時代のケースを上回っていました。
生命の活力の源である酸素を失っていく地球。突然出現した地獄との壮絶な戦いが、気の遠くなるほど永い期間に渡って続いたのです。

地獄の大異変を生き延びた祖先たち

地球史上最悪の大量絶滅は、単弓類にも大きな影響を滅ぼしました。ゴルゴノプスやディノケファルスのように多様な種族を生み出したご先祖様ですが、ほとんどの分類群はペルム紀末期の環境激変を乗り切ることができませんでした。
辛くも生き延びたのは、わずかなディキノドン類と原始的なキノドン類の仲間だけだったと思われます。なぜ彼らが大量絶滅を切り抜けられたかわかりませんが、繁殖能力と高度な育児能力があったことが、他の単弓類との明暗を分けたのだと筆者は考えます。次世代の個体を大切に育てる習性があれば、それだけ種全体の生存率も向上します。我が子を愛でるという哺乳類にも受け継がれる特性が、彼らの活路を開いたのかもしれません。

親子で過ごすコビトカバ(NIFRELにて撮影)。子を育てるという大半の哺乳類では当たり前の習性は、単弓類から受け継がれたものなのです。

大量絶滅を乗り越えた直後、単弓類は再び力強く繁栄していきます。しかし、三畳紀中期になると主竜類という爬虫類の時代となり、陸上でも水中でも大型爬虫類が単弓類を圧倒していました。さらに、三畳紀後期には地上最強の恐竜たちが誕生して、ますます単弓類は日陰に追いやられていきます。
自然界において、永遠の強者はありません。また、永遠の敗者もありません。その時代の環境条件に適応した者たちが、偶然などの要素にも助けられて繁栄を手にするのです。

新たなる夜明け! 哺乳類の誕生

最も哺乳類に近い単弓類

石炭紀から始まった長い単弓類進化の旅路も、いよいよクライマックスです。これまでの登場したグループは、哺乳類へつながるステップを1つ1つクリアしてきました。その最終到達点こそが、私たち哺乳類を産みだした単弓類――キノドン類なのです。

キノドン類の中でも初期の種類とされるものの1つが、アフリカ・ザンビアのペルム紀後期の地層から発見されたプロキノスクス・デラハルペアエ(Procynosuchus delaharpeae)です。四肢に水掻きを備えていて、カワウソのように水中を泳いでいたと考えられます。生息年代は約2億4500万年前と推定されており、ペルム紀の大絶滅を乗り越えた種属の1つであると思われます。

プロキノスクスの全身骨格(国立科学博物館にて撮影)。ペルム紀後期に現れた初期のキノドン類です。彼らの系統から、真の哺乳類へとつながる種類が現れました。
植物食性のキノドン類トラベルソドンの頭骨(国立科学博物館にて撮影)。三畳紀に入ると、キノドン類は多様化・大型化しました。

哺乳類に最も近づいた単弓類・キノドン類は、いったい何を獲得したのでしょうか。新形質の1つと言えるのが、我々哺乳類にも備わっている横隔膜です。
三畳紀前期に生きていた南アフリカ産のガレサウルス類には、胸から下の胴体部に肋骨がありませんでした。私たち人間もお腹の部分に肋骨がなく、体をよじったり、丸めたりできます。ガレサウルス類も同じような体勢ができたでしょう。さらに、肋骨がなくなったことで腹式呼吸が可能となり、横隔膜を得たと考えられています。

横隔膜という効率的な呼吸システムの獲得により、キノドン類はペルム紀末期の大異変後の低酸素環境においても、効率よく活動できたと思われます。そして三畳紀に命をつないだ彼らから、ようやく最古の哺乳類が誕生するのです。

三畳紀後期に誕生した真の哺乳類・モルガヌコドンの復元模型(豊橋市自然史博物館にて撮影)。夜行性で、昆虫などを食べていたと考えられています。

華やかな恐竜たちの世界の片隅で、哺乳類の時代は静かに幕を開けました。恐竜や大型爬虫類に追われながらも、哺乳類は地球上で着実に繁栄していきました。
地上は恐竜の支配にされていたので、哺乳類は特に大型化することはありませんでしたが、それでもかなりの多様性を発揮していました。近年の研究から、中生代の哺乳類は想像以上に種数が多かったとわかっています。そのしたたかさは、ペルム紀の大異変を生き延びた単弓類からの贈り物なのかもしれません。

中生代の哺乳類ゴビコノドン(岡山理科大学恐竜学博物館にて撮影)。恐竜時代においても、哺乳類はしたたかに生き延び、多くの種類を生み出しました。

果てしない旅を続ける時の放浪者

哺乳類を輩出したからといって、単弓類の血脈が絶えたわけではありません。第1回目の記事で述べましたように、恐竜時代に入っても彼らは生き続けました。その証拠として、日本でも中生代の地層から単弓類の化石が発見されています(下記リンク参照)。

強大な恐竜が支配する世界において、単弓類は日陰者として必死に生き続けました。恐ろしい肉食恐竜たちに脅かされ、そして哺乳類と生存競争していたであろう単弓類は、中生代においては勢力の小さな種族だったと思われます。

ところが、カナダのアルバータ州にて、約6000万年前(新生代暁新世)の地層から、キノドン類と思われる顎の化石が出土しました。この標本はクロノペラテスーーラテン語で「時の放浪者」という意味の名を与えられ、大きな話題を巻き起こしました。
しかしながら、クロノペラテスの顎の特徴を精査した結果、キノドン類のものではないと結論づけられました。この化石の正体は、今なお謎のままです。

我々を袂を分かっても、永く生き続けた単弓類。そのしたたかさは、さすがのご先祖様の末裔、と言ったところでしょう。
生命の歴史は、誕生と絶滅の連続です。むしろ、進化の過程で滅んだ種類の方が圧倒的に多いのです。

果てしない旅路の果てに、私たち哺乳類が生まれました。そして、哺乳類が進化を始めてからも、ご先祖様の一族は旅を続けました。
その旅がいつ終わったのかは謎のままです。ティラノサウルスやトリケラトプスと運命を共にしたのか、それよりも以前に滅んだのか、あるいは哺乳類と同じ時代をずっと生き続けたのか。
ご先祖様の最果ての地を知るには、古生物学の探究がさらに必要です。我々が結論に辿り着くまでは、ご先祖様の旅は終わらないのです。

囓歯類アカネズミ(アクアマリンふくしまにて撮影)。彼らも私たち人間も、等しく単弓類の子孫なのです。

【前回の記事】

【参考文献】
金子隆一(1998)『哺乳類型爬虫類 : ヒトの知られざる祖先』朝日新聞社
川上紳一(2000)『生命と地球の共進化』NHKブックス
Douglas H. Erwin(2009)『大絶滅』共立出版
浅田浩二(2006)植物Q&A「大気中の酸素濃度」一般社団法人日本植物生理学会 https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1093

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