地域住民との交流を通じて地域課題の解決策を考える場(サトヤマカイギ ) 新資本主義や新しい経済活動の在り方を模索
能を見て、今の時代にピッタリと感じた。とにかく、間(ま)を楽しむ日本独特の感じ。 最初にゆっくりと能楽師がすり足で現れた時に、おーーっと思った。昨今では、動画を倍速で見るなりして、とにかく知識を詰め込んで解釈していく世界感。こちらの能は、0.1倍速くらいか?とにかく、ゆっくり進む、このスピードで演じるから、余白を徹底して想像しろと言わんばかり。演者は、能面をかぶっているので、表情すらわからないし、発している言葉も不確か。一方、演者も能面からの視界は著しく狭い。存分な余白だら
サトヤマカイギでは、人間が自然と対峙し、大自然や大宇宙の循環を意識することの大切さを説いてきた。そうすれば、目の前の個々の欲望による対立よりも、個々が人類としてツナグ事の大切さが見えてくる。 サトヤマカイギでは、これをコンセプトとして、霊峰白山の麓で、その重要性を体験する場を作ってきた。東京から新幹線で数時間およびバスで1.5時間の地、白山市白峰へ多くの方々が来られた。 今年は、さらにバスで30分と徒歩4時間かけて霊峰白山の頂きを目指す事とした。8月25~27日に
岩の割れ目を神社で祀られている事をよく見る。 大昔、木の根が岩を割ると、数百年のうちに水が沸く。と考えていたのかもしれない。大昔は、数百年のうちに水が沸きそうであれば、子孫に代々語り継いでいた。 現代の人たちは、数百年のうちに水が沸きそうと知っても、数百年後の事は関係ない。「俺、死んでいるし。」と考える。 人類が自然の循環に合わせる時、人間の循環が短期間すぎるためにツナグ(繋ぐ、継なぐ)事が必須となる。さもなければ自然の循環に対峙することは不可能だ。どんどん大きな
約2000年間、中央集権の仕組みによって、人類は凄まじいスピードで価値を生み出した。しかし、同じ仕組みによって生まれる価値のスピードに対し、閉塞感も生まれ始めている。この対策として、人類はシステムやロボットというモノを生み出し始めた。今まで人類が作り上げた仕組みをこのシステムやロボットに譲り、人類が次のステージに飛躍しようとしている。 では、いかに飛躍するか?そのヒントは、今まで価値を生み続けた中央集権の仕組みが始まる2000年前よりも、さらに遡る縄文時代にヒントがある
仕事の仕方がより人間的になってきてるのではないか?経済合理性や形骸的な枠組みでなく、単に楽しい事をしたいという本来の人間らしい仕事の仕方へ移行していると思う。 今まで私たちの仕事内容は、業務遂行が中心だった。短時間で遂行することに重きを置き、ココロを殺し淡々と集中してきた。さらに、長期安定的に遂行する事も要求され、ココロが揺れる事も防いで来た。私も以前は、そのようにしていたように思う。実際、人類はこのようにして大きく発展してきた。 そして今、私たちは次のステージへさ
スペシャリストの形が変わるのではないか?最近よく思います。 今まで、スペシャリストとは、ある分野の知識に深い、または、ある分野の技術に長けている事だったと思う。なぜ、ある分野に長けている能力の人が現れるのか。その人の特別能力というより、生まれ育った環境によるだけなのではないか。いわゆる情報の非対称性による個性の偏りが表面化していただけに思う。 今は、誰でも多くの情報を得て学べる。ネットや動画で知識も得られるし、学び方すら公開されている。ある分野において特異な能力を持つこと
ベトナムで中秋節を迎えた。 日本でも中秋の名月といわれるが、ベトナムでは、満月のお祭りが多く行われる。先祖が集まる日とされ、日本でいうお盆にあたる。そのお祭りに参加してみた。絶対、盆踊りを見れるはずだ!と思ったけど、それはなかった。。 日本とベトナムでお盆の日付がちがうのは、日本は陽暦、ベトナムが陰暦で暦を刻んでいるからだ。陽暦は、太陽の出入り位置や昼夜の時間を基準にした暦。陰暦は、月の満ち欠けを基準とした暦。 日本もベトナムでも、月の満ち欠けは、輪廻転生を意味し再
ゲノムの研究が進んでいるようだ。先祖が築いた経験は、DNAに刻まれ、子孫に伝えられている事が立証されつつある。これを我々現代人は、学術的な証明を受けなければ納得できなかった。 しかし、古代の人達は知っていたのだ。DNAを受け継ぎ、さらに情報を付加、子孫に預ける。そうやって、人類を繁栄させてきた。 現代の人々は、輪廻転生を学術的な証明を受けない限り、意識しなくていいことにしてきた。先祖から受け継いだ生という意識を忘れ、自らの世代で資産を築き、地位を欲しがる。時には永遠の命を得
古代人は、自然と生身の体で向き合ってきた。 一方、現代人は、快適に暮らせる空間をあらゆる所に築いている。車など快適に移動する手段も多く作り出し、それが動くために道路などの環境も整えている。 昨今、自然災害のニュースが、多く報道されている。しかし、元々人間は自然と共存してきた。雨が降れば、行く道は閉ざされる。逆に、雨がなければ、作物は育たない。至極当然のこと。 現代では、人間の丁度いい環境を生み出せると勘違いしてしまっているかもしれない。自然を害と呼ぶ所以でもある。 自然
最近では、ゲノムの研究が進み、DNAが記憶を継承することが証明されつつある。おそらく縄文人は、それを知っていたのでしょう。縄文人は、そのDNAの継承機能を使い、様々なものを作り出していました。 例えば、品種改良を行い、養殖栗の実を大きくしていた。また、効率的に、作物を育てるため、焼畑技術も使っていた。いずれの技術開発も長い検証期間が必要である。DNAによって記憶を継承し、何千年も伝え発展させる事が可能であれば、これらの技術を発展継承できることに納得はいく。 縄文
DX化ってなに?と考える機会があった。その点を自分の中で、再度、整理してみました。DX化について考えるとき、ほとんどの場合が、商品やサービスを提供する側から考える事が多い。しかし、ユーザー側にとってのDX化について考える方が、本質的かもしれないと思い考えた。 私たちの人生の大半は、睡眠と仕事に使ってしまっているのではないでしょうか?しかし、将来、私たちの仕事のほとんどがAIやロボットに代わる事は間違いありません。AIやロボットが、仕事をするようになると、人間は時間を持て余す
帝国データバンクで100年以上継続する企業の割合が発表されている。 データを地図上にプロットすると、上位が見事に日本海側にくる。 ※赤色の濃いところほど、100年企業割合が多い県 企業の持続性のヒントは、日本海側にあるのではないか?!と思い、自分なりに理由を推察してみた。 日本海側は、雪などの影響で経済活動が一時的に止まるときがある。今でこそインフラの管理が進んでいるので経済活動が止まる期間は短い。しかし、100年も前であれば、止まった経済活動が復旧するには、時間がかかるこ
業務を遂行するとき、エンジニアなど多くの従事者は、複雑な現象の無駄をできるだけ排除して、シンプルなストーリーに組み立てる。そして、効率的に直線的に、業務をすすめていく。 しかし、その削除思考では、イノベーションはおこらない。なぜなら、自分が知らない無駄なスペースにこそ、発見があるからだ。 複雑な社会を削除しシンプル化するのではなく、複雑な社会をすべて包み込む事が、イノベーションにつながるのだ。 これこそが、『禅』なのです。自我をなくし、『空』をつくり、宇宙すべてを包み込む
子供のころ、納得いかないままに、親や先生の言いなりになったことはないでしょうか。 子供のころ、なんで?!なんで?!何か矛盾を感じて、それをぶつけていたら、面倒がられ、知ることを諦めてきた気もする。 道理でつなぎ説明できない事は、否定されることが多い。世の中は、論理的なロゴス思考で支配されている。感性が強い子供たちが、世の中の矛盾点を指摘しても、取り合ってもらえない。 多くの子供たちが、感性を捨て、ロゴス思考の望みに対応し生きていく。一方で、学校にも行かず、親と話す機会を
AIを含むITやロボットが、人間の業務をすべて奪ったら、どうすべきか?! 即答できない場合、脳が、業務遂行的なロゴス的思考(論理的思考)に支配されている可能性が高い。 脳がロゴス的思考で支配されている場合、対極となる非論理的なレンマ的知性を育てる必要がある。レンマ的知性を、あえて表現するなら、抽象的な感性論理としてみる。 レンマ的知性を育てるためには、思い切って身の回りの業務を投げ出さなければいけない。現状の業務をすべて、AIとロボットに託すしかない。そうして、ロゴス的思
日本の地方では、人材などのリソース不足で、IT化との相性が非常にいい。したがって、我々のシステムサービスや連携するサービスも、むしろ、地方で多く導入していただいております。 しかし、地域の方々からは、「地方こそ、有人による接客が魅力!!」という意見がでることが多いです。なるほど!と思ってしまいがちですが、本当に、そうでしょうか。忙しい時に、必死でレジを打つ姿が、地方ならでは有人の接客でしょうか。 有人の接客を重んじるからこそ、業務はIT化すべきです。有人の魅力は、ホスピタ