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ジェネラリストがスペシャリストと同義になる。。。

スペシャリストの形が変わるのではないか?最近よく思います。

今まで、スペシャリストとは、ある分野の知識に深い、または、ある分野の技術に長けている事だったと思う。なぜ、ある分野に長けている能力の人が現れるのか。その人の特別能力というより、生まれ育った環境によるだけなのではないか。いわゆる情報の非対称性による個性の偏りが表面化していただけに思う。

今は、誰でも多くの情報を得て学べる。ネットや動画で知識も得られるし、学び方すら公開されている。ある分野において特異な能力を持つことは、ほぼ不可能になっているのではないか?!

これからは、あらゆる分野をつなぐジェネラリストが特異能力を持つスペシャリストとされるのではないか。一般的に、クリエイティブの時代と言われる事と同義かと思う。

大谷翔平のような二刀流や三刀流の天才が次々と現れるのだろう。できるだけ集約効率的に遂行する「選択と集中」の時代は終わりつつある。
落合博満氏は、野球選手が均一化している事を危惧し、大谷翔平の二刀流を最大の個性として賞賛していたのは、まさしく新しいスペシャリストを見越していたのだろう。

スポーツだけでなく、経済界でも同じ動きが活発化してくると思う。むしろ、スポーツと経済界という垣根すらなくなる可能性もある。プロ野球選手かつ経営者という二刀流も現れる事にも違和感はない。既存の枠組みで分割されていた社会が一つにつながり、閉塞感を打ち破るのは近いのではないか。

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