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「井の中の蛙大海を知らず」でいい。

「井の中の蛙大海を知らず」というと、世間を知らず小さなコミュニティの中でいきがっているというようなマイナスのイメージがある。「あいつ、井の中の蛙だよな」というように、失笑のもと悪口として使われることもあることわざだろう。

しかし、私は「井の中の蛙大海を知らず」でもいいと思っている。

ご存知の方も少なからずいると思うが、「井の中の蛙大海を知らず」には続きがある。
それは、「されど空の深さを知る」というもの。

「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さを知る」

狭い世界にいたとしても、そこから見える空がいかに深く美しいかはもっとも知っている、というような意味だろう。

私は、北九州のワークショップで出会った高校生が、「ここから見える夕日が好き。この夕日をいると、私はなんて幸せなんだと思える」と言っていたときにこの言葉を思い出した。

そして今日、私は知床にいる。
そこで出会ったネイチャーガイドさんが、「このあたりに耳に36の札をつけた野生の鹿がいるんですよ」とか、「この時期は、この川の下でクマが見えますよ」とかものすごく楽しそうに紹介をしていて、外を見ると本当に野生動物たちがいる体験で、また「されど空の深さを知る」の言葉を思い出した。
(まさか、人生で野生のクマを見ることがあるとは思わなかった・・・。)

これまでは、「大海を知る」ことがあまりにもてはやされた社会だったように思う。たしかに、広い世界は魅力的だし、私も行ったことないところに行くことは大好きだ。

しかし、最近気づいたこと。
私は、本当は「空の深さを知る」人に、心の底から憧れている。そう。私は「空の深さを知る」人が好きなのだ。

いろいろな生き方がある。どんな道を選んでも、正解はない。
ただ、いま私は、「空の深さを知る」蛙でありたいと焦がれている。

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