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やっかいな奴が集う意味

北九州で飲みながら、やっかいなライターの先輩がこんなことをいった。

「僕は、やっかいな奴が集う意味ってのがあると思うんだよ」

なぜ、その先輩が唐突にそんなことを言い出したのか。覚えていない。
でも、「やっかいな奴が集う意味」という言葉が耳の奥底に残った。

私は、おそらくやっかいな奴だと思う。
とはいえ、それに気づいたのもは、つい最近のことだ。
これまでは、いわゆる「ふつう」の道を歩んできたから、自分は「ふつう」なのではないかと思っていた。「ふつう」がなにかもわからないまま。

でも、いろいろな人と対話することをはじめてから、「こんなにも感じ方は人によって違うのか」と知り、そして、自分は割とやっかいだし、回路が少し違うのかもと気づいた。

やっかいな奴は、基本的に社会と自分のズレを感じている。だから、ときに生きにくいし、ときにピタッとマッチしてテンションが上がる。そんな奴だから、一定のクオリティとか効率的とかロジックを通してとか、そんなものさしの中ではなかなか生きられない。
それらのものさしを否定するわけではなくて、自分がそれを軸に動けない。

だから、社会的にいえば、やっかいな奴が集うと混沌とする。
ワーワー言ってもまとまらない。
新しいことを言っているのか、古風なことを言っているのか、時間軸も歪む。
楽しさと苦しさが表裏一体になっているため、自分のコントロールがひどく難しい。

じゃあ、やっかいな奴が集う意味ってなんだ?
先輩のライターは、さすがやっかいな奴なので、問いだけ言い放って答えをセットにはしてくれなかった(笑)
だから、私も投げかけで終わってみてもいいだろうか・・・?

イメージとしては、トンボ玉のようなあらゆる感情のうずまきが、いくつもいくつも重なりあって、見たことのない彩が生み出されるのではないかと思うのだ。

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