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子どもの「できすぎる」を大切にし、伸ばす方法とは?

ランチを囲みながら、友人の子どもAくんの話を聞いた。
小学校に入学したAくんについて、「どうやって育てていったらいいのかと思っているんだよね」と語る彼女。詳しく聞くと、「できない」ではなく「できすぎる」ことで悩んでいるということがわかった。

Aくんは、足し算が異様にできる。異様という表現が正しいのか迷ってきたが、とにかく「できすぎる」。どういうことか?

以前、おじいちゃんが何の気なしに足し算を教えた。
「『2+2=4』『4+4=8』と足していってごらん」
Aくんは、頭の中でずっとそれを繰り返していたようなのだ。

小学校一年生の現段階は、「数字を書いてみよう」という学習内容。だから、「足す」という理屈をまだ習ってもいない。
が、Aくんは「2たす2わ4、4たす4わ8……」と自由帳に書きなぐっていて、その計算は「128たす128わ256」まで続いた。「+」や「=」は習っていないのでわからない。そのため、おじいちゃんから口頭で聞いた、ひらがなの「たす」「わ」で表現している。

「えぇぇぇ! これすごいことじゃん!」
そう衝撃を受ける私を尻目に、友人であるAくんのお母さんの表情は浮かない。
「すごいことだよね。でも、この能力をどう伸ばしていったらいいんだろう……?」

* * *

友人のつぶやきに、「たしかにな」と思った。この力を大事にし、さらに伸ばして社会に生かしていくことは、今の日本では結構難しいことかもしれない。

実際に、小学校で「自由帳に好きなものを描きましょう」という時間が設定されたとき、Aくんは足し算を黙々と書いていて先生に注意を受けたんだそうだ。
「Aくん、自由帳には絵を描きなさい」

”自由帳になにかを描く”という一見自由な時間ですら、夢中になっていることを書くと注意を受ける。
さらに、Aくんは集団行動があまり得意ではなく、独自性もある。独自性というのは例えば、机に貼られた名前のシールが好きではなく、剥がして自分で名前とオリジナルの絵を描いているのだそうだ。

私はスゴイ!スゴイ!と興奮して聞いていたのだが、友人の「子どもが学校で浮いてしまうんじゃないか」という不安も理解できた。今の学校や会社などの組織の中では、きっとAくんは目立ってしまう。
いや、目立ったっていい。心配なのは、「他の人とは違うことで、Aくんが苦しむのではないか」ということだ。

* * *

Aくんのこの「できすぎる」部分を、大人たちはどう大事にして、伸ばしていったらよいのだろう。1人で何十人もの児童を担任している公立小学校の先生だけにお願いをしても、難しそうだ。 先生の能力がどうの、ではなく、物理的な問題として。

ひとまず、保護者ができることとして、”Aくんが楽しんでいるのであれば、もっと色々なお題を与えてみては?”と提案した。

佐藤「同じ数字の足し算ではなく、違う数字の足し算ではどうかな?」
→友人「80+45=?ときいたら、さらっと125ってかえってきたよ!」

佐藤「引き算はどうかな?」
→友人「2-1=?ってきいたら、11って。頭どうなってるの!」

佐藤「数字が増えていくという概念の中にいるのであれば、掛け算はどうだろう?」←イマココ

Aくんの脳がどうなっているのか、純粋に興味もある。が、Aくんよりちょっと長く生きている大人として、いろいろな数字の世界の楽しさをもっともっと見せて楽しんでもらいたい、という気持ちが強い。

* * *

Aくんは、今後どのように成長していくのだろう?

「できないこと」があることはとても生きづらいことだが、「できすぎる」ことがあることも(子どもの)社会ではとても生きづらいのだ、と今回の一件で考えさせられた。
友人は、「Aくんが学校にいづらくなるのではないか」ということを心配している。だから、「”学校が苦しくなったらいかなくてもいい”と思えるような場所を今から作ってみてはどうかな?」と提案した。最近登場し始めている、プロジェクト型学習の小学校も紹介しつつ、プログラミングスクールや算数・科学教室などもAくんには合っているとかもよ、と。

私はひどく数字に弱いので、Aくんの力を大切にし、もっと伸ばしていくような気の利いたアドバイスがなかなか出てこない。教育にかかわる者として、もっと子どもたちの可能性を伸ばすようなサポートができたらいいのにと、もどかしい。
「他にも、こんな方法もあるかもよ?」と思いつく方、友人に伝えたいと思いますのでぜひ教えていただけますと幸いです!

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