見出し画像

「本の題名」の考え方 【夏目漱石の場合】

以前、別の記事でも解説しましたが、夏目漱石作品の「題名」はシンプルで記憶にのこります。さぞ、念入りに熟考して決めるのだろう・・・と、思いきや実は「かなり適当」につけているものも少なくないようです。

今回は、個人的に気になった「2作品」を紹介してみたいと思います。

・彼岸過迄

「彼岸過迄」という題名は、その名が表す通り「彼岸過ぎまで、連載するつもりだから」が理由とのこと。内容に関係なく「執筆の日程」で決めてしまったのですね。「それって適当すぎやしませんか? ・・・いや、でも『彼岸過迄』という言葉を選ぶところが、さすがのセンス」などと、感じてしまいます。

「彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過迄書く予定だから単にそう名付けた迄に過ぎない実は空しい標題である。
「彼岸過迄に就いて」より 一部抜粋

ちなみに、本作品は「彼岸過ぎ」までに終了せず、4月まで連載が続きました(1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載)。このあたりも、かなり適当? 

・門

この「門」の題名は漱石の「無茶振り」さが面白く、個人的にお気に入りのエピソードのひとつです。

新作の告知を新聞に掲載する際、漱石は「新作の題名」を門下生の森田草平に一任することにしました。内容も何もわからないのに「題名を考えておけ」というのは、かなりの「無茶振り」ですね。

困った森田氏は、門下生の小宮豊隆に相談するが決まらない。何も情報がないのだから当然です。そこで悩んだあげく、傍にあった「ニーチェ」の本を開き、目に止まったのが「門」という言葉。これを新作の題名として採用することにしました。

新聞で「新作の予告記事」を見た、漱石先生。「ほう、次に俺が書く小説は『門』というのか」と、つぶやいたとか。少し「盛り過ぎ?」と感じるエピソードではありますが、漱石先生ならもしや、と思わせてくれるのも面白いですね。

ちなみに「門」は、連載が進んでも一向に「門」に絡む話が出てこないので、森田氏、小宮氏の両名はかなり気を揉んだとのこと。物語の終盤になってようやく「門」が重要なモチーフとして登場したことで、ほっとしたらしいです。「門」という題名から、この展開になったのか? それとも偶然なのか? そんなことを想像しながら読んで見るのも楽しいですね。

タイトルの考え方

「書籍の売り上げはタイトルで決まる」と目にすることがありますが、漱石先生に言わせると「ああ、うん。適当だよ」などとニヤリと、されそうです。しかし、その題名の作品が100年以上も読み継がれ、入試の問題として取り上げられたりしているわけですから、それもまた「おもしろい」ですよね。

今回は、2作品を取り上げてみましたが、別の機会があれば別の作品についても解説してみたいと思います。気になった人は「スキ&シェア」で応援お願いします。

・佐藤のTwitter

・音声解説

上記の内容を音声で解説しています。


この記事が参加している募集

読書感想文

資料購入に活用させていただきます。ありがとうございます!