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起業した時のこと(連載3) チラシが完成した! そして・・・

(前回のあらすじ)学習塾を立ち上げた私は「生徒募集のチラシ」を作っていないことに気がつく。あわてて作成した「手作りのチラシ」を、印刷会社に持ち込んで依頼することにした。開校までのこり二週間!


緊張しながら、私は「それ」を覗き込んだ。

 数日後、車でチラシを取りに行った。ドアを開けると、よう、という感じで店長がやってきた。カウンターの上に私が作ったチラシを置いた。そこには何箇所か、鉛筆で書き込みがしてあるのが見えた。

 私は「何か間違いがあったのか?」と緊張した。誤字脱字は確認した、はずだ。不適切な表現があった、のだろうか? もし作り直すとしたら、費用も時間も足りなくなる。色々と間に合わなくなる。一瞬で色々なことを考えた。私は、テストの答案を返される時のように緊張しながら、カウンターのチラシを覗き込み店長の言葉を待った。

 店長は、持っていた鉛筆の後ろでキャッチコピーのあたりをなぞるようにした後、「文章うまいね」と言った。

自分が書いた文章を、褒められるのは初めてだった。

 意外なひとことだった。それまでに私は、自分が書いた文章を褒められたことは、なかったからだ。

 小学生の時には「〇〇が書いた作文を読んでみろ。こんな風に書くのがいいんだ」と、担任にクラスメイトの作文を読んで書き直すように指導された。よし今度はよく書けた、と書き直して提出した作文は、先生の赤ペンで跡形もなく修正されていた。

 そういえば、小学四年生の夏休みに「自由作文」の宿題があった。「好きなことを原稿用紙二枚以上書いてくること」というような内容だった。僕は「ピラミッドとナスカの地上絵」について書いた。その時読んでいた本の内容をベースにして「どうして、ピラミッドと地上絵は作られたのか?」ということを、空想しながら書いたのだった。

 もちろん内容は拙いものだった。それでも先生の考えが知りたかったので、作文の最後に「先生は、どう思いますか?」と書いた。数週間後、作文が返ってきた。手渡す時に先生は私に「これ、オマエが考えたのか?」と聞いてきた。私は、はい、と返事をした。先生はそれ以上何も言わなかったし、戻ってきた作文に先生からのコメントは何も書かれていなかった。「ああ、よくなかったんだな」と、小学生の私はそう判断した。

 文章というと、せいぜいこの程度の記憶しかない。そして小学、中学、高校と「文章がうまい」と評価を受けることもなく「自分は、文章を読むのは早い方だけど、書くのは得意ではないらしい」という自己評価のまま過ごしてきたのだった。

「もしかして、頑張れるかもしれない」

 ところが今、私が書いたコピーを読んで「うまいね」と褒めてくれる人が目の前にいる。普段の私ならば「いや、すみません。ありがとうございます」と、適当にやり過ごしたと思う。社交辞令というか、他に褒める部分がないから、無理矢理文章を褒めてくれたのだろう、と斜に構えていたと思う。

 しかしその時は素直に「ああ、そうか。いい文章が書けたんだ」と思った。

 素直にそう思った。これで生徒が集まるかどうかは、わからないけれど、でも自分がやっている事はさほど大きく間違ってないのではないか、と思った。私は、店長がチラシを見ながら「ここの部分は△△? これは結構〇〇だね」とアドバイスしてくれる内容にうなづきながら、何の根拠もなく(しかも始まってさえいないのに)「もしかして、頑張れるかもしれない」と感じたのだった。(その4へつづく


次回予告

たった一言がきっかけで、それからの方向を見直すきっかけになることがある。「自分は、文章を書く力があるのか?」そう考えた私は、今まで通ったことがない場所へ足を向けていくことになる。

・起業した時のこと(その4)は現在執筆中です。
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