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『DUNE/デューン 砂の惑星』と、映画館で観るべき映画問題

 ※作品内容に触れていますので、未見の方はご注意ください。

 ちょっと前の話になりますが、映画館(残念ながらIMAXではなく通常スクリーン)にて『DUNE/ デューン 砂の惑星』を観てきました。

 多くの方が既に発信しておられることでしょうが、本作はとにもかくにも「映画館映え」する、「体験」してなんぼの作品なので、できるだけ大きなスクリーンと上質な音響で、できればIMAXで、惑星アラキスの香料とした、もとい、荒涼とした世界に没入し、ハンス・ジマーの手による重量級の音楽を味わい、ドゥニドゥニした建造物や宇宙船、そしてミスキャストが一人もいない素晴らしい役者陣の魅力的なご尊顔を視界いっぱいに堪能して欲しいなー、と思いました。

 なんてことを言うと、「ホントお前ら自称映画好きは二言目には『映画は映画館で観ろ!』って言うよなー笑」とうんざりされる方もいらっしゃるかも知れません。たしかに、別にスマホで観たって中身が変わるわけじゃなし、スマホを思いきり目に近づければ視界の中の画面占有率は同じようなもんだし、それを大スクリーンだと思い込みながら観れば別に同じっしょ? そのくらいの想像力はありますんで、こちとらわざわざ高い金払って映画館行って感染リスクを上げなくても大丈夫っす。ってな感じで反論されれば、その通りかも知れません。

 ですが、やっぱり、初見をスマホで済ませるのは非常にもったいない、とても豊かで、とても贅沢な映画だと思いますので、ぜひ映画館で観て欲しいです。
 なんてことを言うと今度は、「じゃあ、豊かじゃなく贅沢じゃない=貧乏くさい映画は映画館で観なくていいってことね?」「『映画館で観るべき映画』とそうじゃない映画ってのがあるんですね? あなたはそういう考えなんですね? あーはいはいそーですか分かりました」という、また別の問題を呼び込んでしまうので、厄介ではあるのですが笑。

 いや、もちろん、めちゃくちゃ小規模な自主制作とはいえ、自分が監督した映画を映画館のスクリーンで上映して頂いたこともある身からすると、ある作品を「これぞ映画館で観るべき映画だ!」と褒めてしまうと、返す刀で「いや、全部の映画がそうなんですけどね」と、一抹の反骨精神らしきものを込めて言いたくなる気持ちはあるんですよ。業界に片足も突っ込めていない、作り手の端くれ中の端くれであっても。
 そもそも「映画」というのは、(たとえ、ひとつの部屋の中の男と女の会話だけで完結するような、大スクリーン・大音響の醍醐味がなさそうなものだったとしても)「映画館=視界のほぼ全てを占有するスクリーンを、多くの他者とともに見つめ、その体験を共有する暗闇」で上映されることを前提に作られるもんですからね。それは、配信サービスが新たな鑑賞形態として定着し、ワールドプレミア=ネット配信となる超大作が珍しくなくなった現在であっても同じだと思います。少なくとも作り手の意識としては。

 ただどうしても、映画を観る人のお金も時間も有限なので、どこかで優先順位は必要ですし、どうせ映画館に行くなら、映画館に行く意味や価値をできるだけ多く実感したいと思うのが人情ですからね。
 たとえばもし、『DUNE/デューン 砂の惑星』と『スマホを落としただけなのに』のどちらかひとつしか映画館で観れない!残りの一本はスマホで!ってなったらどうでしょう? そりゃ『DUNE』ですよね? その判断を責められる謂れはないと思います。きっと『スマホを落としただけなのに』を作った人も出てた人もスマホを落とした人も納得してくれると思います。スマホを落とした人はそもそも2本目は観れないですが(もちろん『スマホ〜』に個人的な恨みはありません。あくまで例です)。
 いや、もっと分かりやすく、『DUNE』と私が自主制作した短編映画、どちらかひとつだけ映画館で観せてやる!両方映画館で観たら殺す!って脅されたらどうでしょうか? 百人中百人が『DUNE』でしょう。当然です(最初からこっちのたとえにしとけばよかった)。

 要するに、一般的によく言われる「映画館で観るべき映画」とは、平たく言えば「映像のスケール感がデカい映画」とたぶんイコールです。いわゆる「スペクタクル映画」ですね。『DUNE』以外に例を挙げるなら、『インターステラー』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のような、古くは『2001年宇宙の旅』や『アラビアのロレンス』のような作品群でしょう。どうも宇宙や砂漠と相性が良さそうですね。それもそのはず。そういった作品の中でも特に、主人公や、主人公が乗る車や宇宙船が、広大かつ壮大な空間にポツンと存在している、というようなカットは、巨大なスクリーンで観てこそ、その迫力を堪能できると思います。それらをもしスマホの小さな画面で観たらどうでしょう? 集中して観ていなければ、画面の中にいる主人公や宇宙船を見逃すかもしれません。そうなると、「ただの風景カットが妙に長いなー」などと感じてしまい、カットの意味合いさえ変わりかねません。そう考えると、「映画館向き、大スクリーン向きの表現を多用している映画」というものは確かにあって、それらが「映画館で観るべき映画」と言われているのだと思います。

 というようなもろもろを踏まえた上で、一部の、いや、もしかしたら大部分の映画をほんの少し敵に回す表現になるかも知れないと覚悟した上で、本作を「ぜひとも映画館で観てほしい映画です」と推したいと思います。

 などと、脳内の不毛な議論(©︎山里亮太)を文字起こししてると字数がどんどんかさんでしまうので、いいかげん内容について書こうと思いますが、実を言うと、内容、特にストーリーに関する評価は現時点では不可能、ってのが正直な感想です。

 本作をご覧になった方は既にご存知でしょうが、冒頭すぐに提示されるタイトルは『DUNE: PART ONE』となっており、本作は思いっっっきり途中で終わっちゃいますので、物語全体がどのようなバランスで語られるかについては、まだ不明なのです。で、続きはもちろん『DUNE: PART TWO』に持ち越しなんですが、その製作決定のニュースは、公開からしばらく経った10月末ごろに発表されてましたね。
 このような製作方法はなかなか珍しく、チャレンジングだと思います。「続編を作るかどうかは、興行収入や世間の評価次第」というのはよくあることですが、その場合、わざわざタイトルに「パート1」とは表記せず、単体の作品として成立するように作るのが一般的かと思います。一方、あらかじめ続編があったり、二部作、三部作として製作される場合、スタッフとキャストのギャラや拘束時間、撮影効率などを考慮して、ひとつのまとまった期間で撮影するのが通常でしょう。ところが本作は、あらかじめ二部作になるように作りながらも撮影は一本分で一旦完了させ、観客の高評価と興行的成功という実績によって、続編製作を実現させた訳ですから、ほんとうに凄いと思います。
 デヴィッド・リンチ版の映画と、幻となったホドロフスキー版の顛末を描くドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』は観ていて、話の概要はざっくり理解しているが、フランク・ハーバートによる原作小説は未読。それを比較的忠実に映像化したと言われている2000年製作のテレビ版も未見、という程度の、決して熱心なファンとは言えない私でも、2023年公開予定の続編が待ち遠しくなるくらい本作は素晴らしく、見応えのあるものでした。

 その凄さとは、一言で言えば「世界観」です。
 本来は「世界に対するものの見方」を意味するこの言葉ですが、一般的には「ある架空の物語世界を成り立たせている設定や雰囲気や価値基準や論理のようなものの総体」といった意味合いで使われることの方が多いかと思います。で、私が言わんとしている「世界観」も後者です。

 フランク・ハーバートが構想した西暦10190年(でしたっけ?10191年だったような気もしますが……ともあれ、今から8150年以上先の遠未来!)、とっくの昔に地球から飛び出した人類は、かつて自分たちが生み出したコンピュータや人工知能に隷属する生き方を改め、人間の力によって統治された宇宙帝国を築いていた。が、かつてコンピューターやAIが担っていた、通常の人間の能力を超える仕事は依然必要であり、メランジと呼ばれる特殊な香料を用いて意識や能力を拡張させた人間がそれを補っていた。メランジは惑星アラキスの地表を覆う砂からしか採掘できない。ゆえに、アラキス(=デューン)を掌握した者が絶対的な権力を握ることになる。というのが大まかな前提。
 はるか未来を描いたSFでありながら、皇帝を頂点とし、各々の星を統治する公爵家がおり、かつての封建社会のようなものが復活している世界な訳ですね。
 そんな未来が、具体的な説明はなくとも、なんとなく未来の文化や風俗や価値観を想像させる美術や衣装によって、そしてそれらを上質な雰囲気で捉えた丁寧な撮影によって、みごとな説得力を持って映像化されていました。
 この「上質さ」というのは、観てもらわなければ分かりづらいものですが、逆に言えば、観れば一発で分かるものだと思います。

 「映画を構想するときは、世界観→物語→キャラクターの順番で考える」と、かつて押井守は言っていましたが、ドゥニ・ヴィルヌーヴも似た志向を持った監督だと感じます。まず映像として表現したい世界観があり、その世界観にふさわしい物語を作り、その物語をうまく駆動させるキャラクターを造形する、という順番ですね。
 それに対して、ジェームズ・キャメロンは「ハリウッドのやり方は逆だ。まずは魅力的なキャラクター、次にその人物を活かせる物語、そして物語に適した世界観だ」と言ったそうですが、近年は、世界観を重視する監督がハリウッドでも増えている気がします。きっちりした起承転結とかお話の整合性とかどんでん返しによる驚きとかよりも、描きたい世界や時代の「空気感」や「雰囲気」を徹底的に映像化することに情熱を燃やすタイプの監督が信頼されているように感じます。

 個人的にパッと思いつく具体例は、クエンティン・タランティーノ。クリストファー・ノーラン。ポール・トーマス・アンダーソン。あたりでしょうか。もちろん彼らが物語やキャラクターを軽視していると言いたい訳ではありません。それらももちろん素晴らしいのですが、それよりも前に、描きたい世界観のビジョンが明確にあり、その雰囲気を細部にわたってきちんと作り上げたい!という欲望が前面に出ているように感じられます。
 彼らには共通項がもう一つ。「フィルム主義」ですね。彼らは皆、フィルムの素晴らしさを作品で実証し続けています。タラちゃんは『ヘイトフル・エイト』を、PTAは『ザ・マスター』を、スペクタクル映画向けの65mmフィルムで撮影し、ノーランはIMAXフィルムでの撮影にこだわり続けています。
 で、本作にも「Filmed in IMAX」というIMAX独自の新しい認証(本作が世界初らしい)が与えられているので、てっきりIMAXフィルムで撮影したのかと思いきや、撮影に使われたカメラは、デジタルカメラのARRI ALEXA LF(アリ・アレクサ・ラージフォーマット)だそうです。ってことでドゥニ・ヴィルヌーヴは「フィルム原理主義者」ではなさそうですが、IMAXクオリティのスペクタクル映画体験の実現こそが、本作には必須だと判断したのでしょう。

 ちなみに撮影監督は、グレイグ・フレイザー。てっきり『ブレードランナー 2049』に続いてロジャー・ディーキンスと再タッグを組むものと思い込んでいたので少々驚きましたが、全体的にグッと彩度を落とし、暗闇や陰影を強調したルックで荘厳な世界を作り上げた彼の仕事も素晴らしかったです。
 彼の過去作で言うと『ジャッキー・コーガン』『フォックスキャッチャー』あたりも全体的に陰鬱な雰囲気が漂っていたりするので、陰影の使い方が得意な人なのかもしれません(ちなみに『バイス』『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』『マンダロリアン』もこの人!)。でもって次作は、あのロバート・パティンソン版『THE BATMAN』! 楽しみです。

 ってことで、要するに『DUNE/デューン 砂の惑星』はぜひ映画館で。

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映像ディレクター。自主映画監督。 映像作品の監督・脚本・撮影・編集などなどやっております。