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ラーメン凪 創業記 第11章:起死回生の365日日替わりラーメン

ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまでの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから

365日日替わりラーメンの誕生

2006年7月頭

開店3週間で一気にガラガラになり、
1日の来客が200人から一気に150人、そして100人とみるみる減っていきました。

8月に差し掛かるころには80人を切り、売上も10万以下。。月間売上が250万と損益分岐を下回るようになってきました。

これではヤバイと相当焦りまして。。。

出店した場所は渋谷駅から六本木方面へ徒歩10分ほどの渋谷東。
店舗隣の巨大なビルが取り壊され、ランチ難民ならぬ店舗難民な場所でした。なのでわざわざお店を求めてきてもらえないと成り立たない立地でもありました。

ま、開店前から最悪も想定してはいましたが、それでも実際はぐっときました。

初の開店、初の営業、運営。お金の心配。。。

口座の資金が目に見えて減っていきました。

2号店の計画は進んでいたので、
とにかく損益分岐だけを越えることが一つの目標になりました。

逆算経営っていうとかっちょいいけれど、人件費から家賃やその他を積み上げて、最低これくらいは欲しいと損益分岐を適当に計算する。
この適当が今にも活きている。
とにかく「数字」を適当に決めるとそれに向かって何をやればいいか?が具体的になる。今でもそれは明確だ。
それは仕事でも遊びでも人生もおんなじ。とりあえず適当に決めること。
当時からそう心に適当に生きている。

状況を打破するために出たアイデアが「365日日替わりラーメン」です。
え?ですよね。日替わりラーメン。でもこれしかなかったんですよ。

今になって思えば、このピンチが逆に良かったです。
色々なラーメンを作るキッカケになりましたし、出汁の研究をすることができました。

開店前に今日の日替わりを準備し、慣れてきたら告知を早めにして周知、集客をしました。

結果は大成功!
何とか損益を突破することが出来ました!

365日ほんとに毎日違うから、
タレやスープ、使う材料や仕込み、トッピングや告知…
とにかくみんなで研究した。

2021年のいま、進行中の某プロジェクトや西尾が書き上げた話題の書籍、「ラーメン大全」に繋がっていること、そして何よりも海外店舗展開に繋がっていった。

しかし、、、問題が解決したらまた一つ。。。

激熱な厨房、脱豚骨!?

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今度は厨房の温度でした。
7月下旬から猛烈な暑さが、、キッチンの温度計は70度を超えたところ指して止まっています。

現場からはメインメニューの豚骨を辞めたいと。現場が動かなくては仕方がないですから、立川の2号店を準備していたこともあり許可しました。

昼は鴨醤油らーめんをメインにして営業。この判断が思いっきり間違うことになります。。

ランチタイムの売上が一気に下がります。
ま、普通に考えたらそうですよね。
豚骨のお店と思って来店したら、醤油味だけだとするとお客様は帰ってしまいますね。

そんなことも知らずにどんどん来客が減ってしまい、なんと8月は150万まで下がりました。

ちなみに毎日違うラーメンですから、こりゃまずいという事もありました。
記憶に残っているものとして、

コメント 2021-06-22 162719

フルーツポンチェラーメン
これはフルーツポンチェを使って甘さや冷え冷え感を出したラーメンでした。今でこそひょっとしていいかもしれないのですが、当時は早すぎました。とにかくまずかったです

鶏白湯や、つけ麺など王道のものから、鹿の使ったラーメンなど、
とにかく時代の先取り度半端い感じでした。鹿のラーメンはとにかく油の融点が高すぎて、排水溝が詰まる事件になったり。

それでも凪の面白いところはまずくても通ってくれる強烈な常連さんがいたことでした。

激アツのキッチンはとにかく何かしないとということで、
換気扇をつけることにしました。ってついてなかったのかよ!て話なんですが、空調なんて全く考えてなかったもので。。。

まさか酸欠になるくらい暑くなるとは。
その時のお店はスタッフ全員シャツを3枚くらいもっていました。
今ではほんと考えられないっす。

そんなこんなでなんとか初の夏を超えることができました。
ラーメンの味も安定できました。取材も少しつづ入るようになりました。
SNS(当時はライブドアブログとmixi)も頻繁に更新していたので、ブロガーのお客様など結構来てくれていました。

コメント 2021-06-22 162211

林家こぶ平さんの取材がゴールデンタイムで放送されて、すっごい反響になりました。ジリ貧だったお店が奇跡を起こしまて来客が5倍くらいに!開店前には30人くらい並ぶ大行列。

きたーーーーーー!っと思いました。
この奇跡が起こったおかげでお店を潰さずにすみました。

その効果、なんと750万。

この後に取材や有名ラーメン本で新人賞を受賞するなど、
いきなり表の世界に出まくる感じでヒットの香りがプンプンしてきました。

そしてこの勢いにのって2号店オープンへと続いていきます!

つづく!(毎週火曜更新)

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