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褒める、叱るについて

 最初に生まれた子の子育てと、2番目3番目の子育てが全く違う感覚であることは経験しないとわかりませんね。長子の場合はマンツーマンですから幅広く子供の様子を知ることで安心できることも多いですが、その分気になる点も多いです。物事によっては、子供の特性が大きく影響するため親がどうしようもない案件もありますから、その場合は成り行きに任せるのが一番です。例えば子供の能力に関する事とかですかね。2番目3番目の子育てになると、加減というか、バランスというか、子供への接し方が分かるようになるんです。昔の自分が見たら「いいかげん」と思うだろうなぁ、ということが「良い加減」に変わるんです。不思議。
 さて褒めることと叱ること、ですが私たちの子育ての場合、初めに述べた通り子育ての経験によってその考え方が変わってきました。子育て初心者だったときは、子育ての方法のほとんどが自分たちの母親や親類、ご近所さん、ママ友、「私はこうして子供を東大に入学させた」などの教育本、等の経験者の体験談が元になっていました。実体験ですし、多少の誇張があるにしても、事実として間違ってはいないと思います。ただし、最も重大なことが抜けていることに気づきました。それは、それらの経験談を自分の子供に当てはめていいのかどうか、ということでした。
 子供はみんな、違います。その違いも様々です。同じ人間なのに言葉の違いで意思疎通ができないのと同じで、子供の違いによって子育てのやり方も違って然るべきです。残念ながらそのことに気付くのは、2番目3番目の子育てになってからなのです。そのため長女には散々褒めましたし、叱りもしました。トイレトレーニングが他の子と比較して遅いからと言って、怒鳴ったりもしました。本当に申し訳ない思いでいっぱいです。当時は「褒めて育てることで子供の良い所を伸ばす」という教育が主流でしたので、目いっぱい子供を褒めるのですが、その半面親子のストレスも大きかったように思います。
 最終的に私たちが子育ての拠り所としてたどり着いたのは、心理学でした。故河合隼雄氏の「子供の宇宙」や岸見一郎氏の「アドラー心理学入門」などです。これらの知識は人間に全般的に当てはまり、目の前の子供を一人の人間として扱うにはどうすればいいかという課題に応えてくれました。
 教育経験が少ない小さい子ほど、子供は直感が鋭いです。教育によって埋め込まれた規範や標準などの無意識が存在しないからです。そのため子供は褒められると、自分が特別扱いされた気持ちになって嬉しくなります。ただし直感が鋭いので、言葉や態度によっては子ども扱いされた気持ちになって嫌悪感を抱きます。子供は、子ども扱いされるのが嫌いです。子供はいつも、自分は立派な人間だと思っています(立派な大人とは思っていません)。特別扱い = 主人公、に対して、子ども扱い = 差別、なんです。
 大人が子供を叱るのは、子ども扱いの最も典型的な例です。心理学的に言えば、叱る人の立場が上で、叱られる人の立場が下という関係性を作っている行為に過ぎないのです。もちろん緊急事態や危険行為、他の人を傷付ける行為などについては親としてではなく、社会を代表する大人として強くその行為を戒めるということは必要でしょう。
 では、どうすればいいのか。ある時、3歳の女の子がお母さんと産婦人科病院の待合室にいました。その子はお母さんの診察に付いてきたのです。診察が終わって、お母さんはその子が騒ぎもせず大人しく待っていられたことに感激し「大人しく待っていられたね。良くできたね」と言いました。女の子は嬉しそうににこっと笑いました。
 この例に対して、3歳の女の子ではなく、診察に付き添ってくれた人がお母さんの母親、もしくはお父さんだった場合はどうでしょう。お母さんは「ありがとう」と言って感謝を伝えるでしょう。「良くできたね」とは言わないと思います。褒めるときには、その行為によって生じた幸せと感謝の意を伝える。こうすれば一人の人間として誰にでも同じように伝えることができると思います。あなたのおかげでお母さんが幸せになれた、と言って喜ばない子供はいませんから。

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