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習い事

 習い事をいつから始めるか、ということも親の悩み事の一つです。正解は無いですし、それぞれの考え方によって違って当然だと思います。よくピアノや英語などは、聞き取りが大切なので絶対音感がある小さいうちから始めた方が良いという人もいますが、絶対音感は素質もあるので早い方が良いという考え方が正しいとは限りません。1/100音程を聞き分けるピアノの調教師は誰でもなれるわけではないようですので。
 慣れるまでに時間がかかる、という意味では将来子供がつく職業が決まっている場合は早く教育を施し覚えさせる方が良いかもしれません。音楽家一家の場合はその典型かもしれませんね。子供が望んでなくとも、早いうちからその環境に慣れていることで実力を発揮できる場合があるということだと思います。親がサラリーマンの場合は難しいですけどね。一方で、情報が氾濫している現在においては、高い税金にさらされ、年金不安など将来設計が困難で、人間関係のストレスも大きく、理解不能な政策に対して受動的なサラリーマンとは異なる職業に子供を就かせたいと思う親もいるでしょう。
 私たちの場合、子供を特定の職業に就かせる予定はなかったため、健康と学習にフォーカスしていました。娘は幼稚園入園と同時ぐらいから地域のボランティアの方が主催する「アース」という活動に参加していました。「アース」は戸建ての民家を教室として貸し切り、主に子供たちを自然と接する活動をしていました。お散歩して拾ったドングリやまつぼっくりでリースを作ったり、絵をかいたり、畑で野菜を作ったりしていました。小学校ではお絵描き教室へ通い、高学年から公文に通い始めました。子供の好き嫌いに合わせて通わたのですが、どの習い事も彼女の現在の人生に影響を及ぼした活動であったと自信をもって言うことは出来ません。
 息子の場合は、幼稚園がやっていた放課後英語教室、幼稚園から小学校低学年まで水泳教室とチャレンジパッド、小学校4年生まで公文をやっていました。運動があまり得意でないため、水泳教室については他の子が進級する中で自分が取り残されるのが嫌で本当は行きたくなかったと、高校生ぐらいのときに告白されました。その他の活動については、現在の息子の状況を考えると身についているのでは?と思います。身に付く活動は、目に見える結果が出るものです。公文では親がちょっとびっくりするぐらい進捗が良かったですし、チャレンジパッドも課題をすぐに終わらせてしまうので物足りなそうでした。
 習い事は子供を社会に送り出すための準備として行うものですが、私たちの場合、半分以上は無駄に終わっています。習い事によっては、良くない記憶になってしまったものもあります。原因は子供の性質だったり、親の思い込みだったり色々です。時間を戻して繰り返すことは不可能ですが、選択肢がたくさんある中で100%上手くいくことも不可能だと思います。子供の特性に合わせて、様子を見て続けて、それでもダメだったら諦める、ぐらいの気持ちでいいかなと思います。
 子供への投資、という考え方は絶対にやめてくださいね。投資は将来必ず回収するためのものです。親が子供から回収を望むと、子供は親から離れていきます。

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