小説「モモコ」第3章〜3日目〜 【12話】
「モモコの居場所はわかったんですか? とにかくそれが知りたいんです」
「そうね、居場所はわかったわ。あなたの予想通りよ」
「ということは、碧玉会ですか? やっぱり……」
怒りが込み上げてくるのを感じた。
モモコが質問で導師を批判したからだろうか。あのとき立ち上がってモモコを非難した女の顔を思い出す。司会をやっていた勿体つけた喋り方をする女も、導師に言われるがままに頷いていた会場の連中も、全員が敵のように思えてきた。
「犯人はあの会場にいた連中ですね」
ハア、と雉谷がため息をついた。
「ねえ、昨日から言っているでしょ? その回答は半分ハズレよ」
雉谷はたしなめるような口ぶりだ。
「そういう連中は自分から動くことなんてないわ。動くとしたら、自分の代わりに決断してくれる誰かに指示されたときだけよ」
「自分の代わりに決断してくれる誰か……」
雉谷は頷いた。
「そう、碧玉会の導師と呼ばれる男の指示だと思うわ」
白スーツを着た小太りの男が壇上に立ち、大袈裟な身振り手振りで立ち回る光景が思い出された。
「いまモモコちゃんは碧玉会の本部にいる。碧玉会の導師、本名を坂田欣一郎。坂田は、一言で言えば、時代遅れのヤクザ風の宗教家ってところね。狂っているけど、自分の流儀は通す男。はたから見たらずいぶんと身勝手な流儀だけどね。だから、確証はないけれど、意味もなく乱暴したり傷つけたりはしていないと思うわ」
雉谷は僕の目をまっすぐに見ながら言った。
「碧玉会はこの地域じゃ幅を利かせているから、坂田の手足になる人間はそこらじゅうにたくさんいるはず。会場の連中も、その一部ということね」
「あの、どうして」
話を聞きながら、僕には先刻まで抱えていた不安とは異なる不安が生まれていた。
「どうして...そんなに詳しいんですか?」
雉谷は目を丸くすると、声を出して笑った。右の口角だけを釣り上げるようにして笑うので、雉谷の笑顔は少し不気味にすら感じられる。
「ふふふ。それは、同じような界隈の人間だから。そうね、あなたは、壺を買わされたことはある?」
「え、壺ですか?」
僕は少し身を引きながら答えた。
「ない、と思いますが。記憶がないので自信はないです」
「あら、そうだったわね。つまりは、わたしは壺を売る側の人間ということ。どちらかと言えばね」
「え、それはどういう……?」
「よっす!」
急に後ろから声をかけられて、会話が中断された。
「あれ、ルンバ、死にかけてない?」
すぐにリリカの声だとわかった。
「目が死んでるじゃん。ウケるんですけど」
リリカが靴を脱いで和室にあがってきた。
リリカが来たことで少し安堵している自分に気がついた。雉谷の不気味な笑顔を一人で相手にするよりは、誰かもう一人いたほうが安心できる。
「あらミンジョン、今日はどうしたの? スーツなんか着ちゃって」
リリカは藍色のスーツに身を包んでいた。
「午後からバイトだからさ。就活生フェチってやつ? リクルートスーツ着てこいってさ」
「あんた、まだデートクラブなんてやってるの?」
「ちょっと違うんだけど、今やっているのはレンタル彼女っていうやつ。日給じゃなくて時給だから助かるんだよね」
「前の男の手切れ金で十分羽振りはいいんでしょ? あんまり手を広げているとそのうち痛い目を見るわよ」
「そのへんは大丈夫。今の事務所でも、所長の弱みはちゃんと握っているから。でも最近デイトレのほうが儲かるからそっちだけでもいいかな〜。ママ、今度また教えてよ。あたし株のセンスあると思うんだよね」
僕が話についていけずキョトンとしていると、リリカは僕とママの間に割り込むようにして座った。
「で、どうなの? モモコちゃんは見つかった? 何かわかったわけ?」
「いや、それを今から聞くところだけど、どうしてここに?」
「わたしが呼んだのよ」
雉谷が言った。
「え?」
驚いた僕を見て楽しんいるようだった。
「あなただって会いたかったでしょ? リリカちゃんに」
雉谷がリリカを強調しながら言った。
「そうだった! こいつ勝手にあだ名つけてたんだよね。マジでウケるんですけど」
リリカがけらけらと笑い転げる。
「それは、わ、悪かったよ」
僕は二人から目を逸らしながら言った。
「ええと、ミン……?」
「何? もうリリカでいいわ。リリカで。悪くないと思うのよね、リリカって名前。ママ、どう思う?」
そう言いながら、リリカはまだ笑っている。
「ええ、わたしも気に入ったわ」
「じゃ、決まりで」
気がつくとリリカは話題に飽きたように無表情になり、片手でスマホをいじり始めた。
「ママ、いいわ、続けて」
僕はため息をつきながら目の前の二人の女を見た。どうにも、この二人が苦手だと思った。終始相手のペースに乗せられたままでいる。
そういえば、海中で目が覚めたときから、ずっと女性のペースに乗せられたままだな、と僕は思った。モモコと出会ってあちこちと連れ回され、そのモモコを探すためにリリカに言われるがままについて行き、辿り着いた病院では、得体の知れない雉谷という女に食事まで頼りきっている。
我ながら情けない話だ。僕は自嘲ぎみに首をふった。
「浦島桃子。10歳。生まれてすぐに里親に預けられる。本親は記録なし。生後一年から会話ができるレベルまで日本語を操り、その他にも記憶力、計算能力、空間認識能力など、幼児期から異常とも言える天才ぶりを示す。里親の母側は謎の失踪。里親の父一人によって育てられる」
「えっ?」
急に雉谷が切り出したので、僕は話についていけなかった。
「病院に残っていた、モモコちゃんの公式な記録よ」
雉谷は何食わぬ顔で電子タバコを取り出すと吸い始めた。
「何? モモコちゃんって本当の親を知らないわけ?」
「そうことね。そういうところは、ミンジョンと一緒かもしれないわね」
「さらに親近感生まれるわ〜」
リリカは笑いながらスマホをいじっている。
急に本題を切り出されたので焦りはしたが、これ以上振り回されてたまるかと、僕は話に食らいついた。
「その『異常とも言える天才ぶりを示す』というのはどういうことですか?」
「文字通り天才だったのよ」
ママはタブレット画面に映る資料を見せながら言った。
「生まれて半年で人や物を識別し、一年で普通に大人と同等の言語レベルで会話ができるようになった。小学校入学時点でIQ指数200を超えたところまで記録にあるわ。ただの天才ではなく、『異常な天才』と言われるのも頷けるわね」
「あの子ってそんなにすごいのね〜!」
リリカが感心したように声をあげる。声のトーンだけは大きいが、視線はスマホ画面を見つめたままだ。
「でも、モモコの今までの様子を見ていれば、そう言われても納得できる気がします」
そう言ったことに雉谷は少し驚いたようだった。
「へぇ、やっぱり、この子はそんなに頭が良かったの?」
僕もモモコの常軌を逸した頭の回転の良さを目の当たりにしていなかったら、にわかには信じられなかっただろう。もはや僕には、モモコが天才少女だという荒唐無稽に聞こえる話を、ただのフィクションと一蹴することはできなかった。そうはできない不思議な本物感を、僕はモモコに感じていた。
「ねえ確認だけど、港でモモコちゃんと出会ったとき、その子は誰かに追われていたのよね?」
「はい、初老の男と、顔に傷のある男の二人組でした」
二人に追われるモモコを担いで船まで走ったことを思い出す。
「どちらも真っ黒なスーツを着ていて、明らかに普通じゃなかった。たぶん本物のヤクザか何かなんじゃないかなって」
「あなたがヤクザみたいと感じたことは当てにならないけど、天才少女を誘拐しようとする暴力的な組織があるのは事実のようね」
「モモコが天才だから、誘拐して利用しようと? そんなにうまいこと利用できるような子じゃないですよ、モモコは」
僕は少し声を荒げてしまった。不安に感じたからだ。
「そうね、でも、だからこそ洗脳しようという連中もいてもおかしくないと思わない?」
「洗脳?」
僕は寒気を覚えた。
「もしかして、碧玉会の狙いって...」
おそるおそる口にすると、雉谷は頷いた。
「その可能性が高いわ。いくら天才とは言っても、まだ10歳の少女なのよ。環境によって子供はどうとでも変わるわ」
ふと気がつくと、リリカが顔を上げて真剣な表情で聞き入っていた。
「カルト宗教の幹部の経歴を見たら高学歴の元エリートが多いのはよくあることよ。天才は道を違えやすい。モモコちゃんを会員に招き入れて、幹部にでも育て上げるつもりなんでしょう」
「そんなのダメよ!」
リリカが急に大声を上げたので驚いて目を向けると、リリカは見上げるように首を上げ、目の前の上方に広がる虚空を見つめていた。
「モモコちゃんはいい子なんだから」
「あらミンジョン、だいぶあの子のことが気に入っているのね」
雉谷はそれを意に介することもなく、画面に映る資料を眺めている。
「モモコちゃんはね、わたしのことをきれいって言ってくれたの」
そう言うとリリカは、目線を下げ、睨みつけるような眼差しで僕の顔を見た。
「ルンバ、モモコちゃんを助けるんでしょ?」
リリカの言葉の圧に一瞬たじろいだが、すぐに返した。
「当たり前だよ、そのためにここまで来たんだ」
「もちろん、そう言うと思ったわ。でもね」
雉谷はにっこりと笑うと、静かに語り始めた。
「でもね、その前に、ルンバ。あなたには知るべきことがあるわ」
〜つづく〜
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