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2022.11.05『てれんぱれん』

小説『てれんぱれん』を読み終えた。

なんと言ったらいいのかわからない。静かで優しい愛と願いが溢れるが背景には被爆による悲しみがあり、心の乖離も感じる。自分は長崎県民でもなければ当事者でもなく、その切実さを想像することは到底できない。

いや、自分は遠い土地に住んでいるというだけで本当に当事者ではないのか、と問えば、それも違うような気がする。

著者の青来有一さんは長崎原爆資料館の館長も9年務めていらした、被爆二世の方…か。

それはやっぱり、到底自分なんかにわかるわけのない体験であると思う。

話が少し逸れるが、いつも疑問に思うことがある。それは語り部の方々が生きている近い出来事は悲惨な出来事とされるし、今どこかで起きていることも悲惨な出来事と捉えている。にも関わらず、大昔(というほど遠くはないはず)の争いは城巡りや漫画などを通して“歴史好き”として嬉々として好んで話す場面がある。

自分にはその感覚が学生時代からわからない。規模の大きさ、使う武器の威力さえ違えど、人のやってきた歴史は変わらないのではないか。

なぜそれは良くてこれは良くない、それはエンタメになりこれは沈痛になるのか。同じことではないのか。そのことはいつも気になっている。

写真は昨年末に行った長崎旅で撮った浦上川(で合ってると思う、調べれば調べるほど自信がないけれど合っていると思う)。復興とはなんだろうか、想うとはどんなことだろうかと、修学旅行生が大勢いる平和公園の横にある静かな川でぽつねんと考え込んだ。そして本を読み終えた今、また考え込んでいる。

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