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夢が叶おうとしている今、思うこと

久しぶりに、文章を書く。

孤独で、つらい半年間だった。地方から上京してきたのに、地元に戻って就職すること。教育学部ではなく、文学部に身を置きながら教師になること。大多数の人が選ばないような道を、進むと決めた。ふと周りを見れば、すでに就活を終えた同級生がいる。焦りを感じながら、「本当にこの道でいいのか」と迷いながら、それでも1人で走り続けるしかなかった。

たとえ教員採用試験に合格できなくても、臨時教員や非常勤講師として働きながら、1年後に再挑戦することはできる。でも、大学受験の時と同じように「浪人」みたいになるのは嫌だった。高校生の時のように、浮かない顔で卒業式に臨むのではなく、将来のことをすっきりさせて、今度こそ、笑顔で卒業したい。そんな思いを胸に秘めて、一発合格を目指した。

「あなたなら大丈夫だよ」と優しい言葉をかけてくれる人もいた。ありがたかったけれど、同時にそれがプレッシャーにもなった。自分のためにやっていることなのに「周囲の期待に応えなければいけない」と考えてしまう。プライドの高さゆえに、気持ちのコントロールに悩んだ。体を壊すこともあった。

試験が終わってから合格発表までの1ヵ月も、しんどかった。思い通りの結果にならなかった時、ただページの更新ボタンを押すしかない絶望感は知っている。家族や友達にどんな顔をさせてしまうかも知っている。だからこそ、気が気でなかった。でもこれからは、もうそのトラウマを抱える必要はなさそうだ。結果は、無事合格だった。

自分の受験番号を見つけた瞬間ほっとして、嬉しくて、涙が止まらなかった。しばらくは信じられず、合格者の一覧と受験票を突き合わせて、何度も確認した。夢かもしれないとすら思って、漫画のワンシーンのように頬をつねったりもした。自分が思っている以上に、相当な重圧がかかっていたんだと思う。やっと解放されて、久しぶりに深く呼吸ができたような気がした。

🌸🌸🌸

春からは、地元の高校で、英語の教師として働く。

教師になりたいという夢を持つようになったのは、小学生の頃だ。ただ、それは確固たる意思ではなかった。将来の夢を聞かれたら、何となく「学校の先生」と答えていたけれど、好奇心のアンテナは様々な方角に向いていた。でも結局、大学は教員免許が取れる学部しか受験していないし、入学してからは、当然のように教職課程の授業を履修した。心のどこかで、いつかの童心を忘れずに持ち続けていたのだと思う。

こうしてブレずにいられたのは、いろいろな人の支えがあってこそだ。家族とかはもちろんだけど、そもそも、学校に居心地の悪さを感じていたら、教師になりたいなんて思わない。学校という場所を好きでいさせてくれた、同級生や先生にも感謝だ。「教師に向いていると思う」と背中を押してくれる友達がいたのも、心強かった。出会いに恵まれたと思う。いつもお世話になっている美容師さんに「小さい頃の夢が叶うことって、当たり前じゃないよな」と言われたけど、本当にその通りだ。

ちなみに、幼稚園の卒園アルバムに書いた将来の夢は「サッカー選手」だ。これまでは無意識に、将来の夢を「職業」と結び付けてきた。「教師」という夢が叶おうとしている今、再び将来の夢を聞かれたら、何と答えるだろう。もし大学の卒業アルバムに、将来の夢を書く欄があったとしたら、何と書くだろう。

今ある職業が、10年後にはなくなっているかもしれない。転職も当たり前になった。いざ職に就いた途端、理想と現実のギャップに苦しむことだってあるはず。そういう時代や社会の中で生きているのだから、必ずしも「何かになる」ということを夢や目標にする必要はない。「どういう人間でありたいか」「どういう生き方をしたいか」を大切にして、それを道標にしてもいい。残り少ない大学生活で、新たな夢を、自分なりに考えたいと思う。

これからの人生の方が、きっと長い。まだまだ、こっからだ。

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